中村八幡宮

真岡市中(平成18年8月19日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 神社は、二宮宇都宮線を北上、道路から右に入った中地区にあります。参道を進むと、昭和31年生まれの狛犬が迎えてくれました。拝殿前には、御神木の大ケヤキがあります。本殿は、市内で一番大きく、市指定の文化財です。寛永2年、氏子たちが植栽したヒノキやスギが育っている社叢は、県の天然記念物に指定されています。
 神社には、県指定文化財の木造狛犬があるようですが、詳しいことは、分りませんでした。写真は、真岡市文化財マップに載っていたものを撮りました。

 案内には『主祭神は誉田別命です。
 社伝によれば、白鳳四年(676)天武天皇の勅令で民衆安寧祈願のため諸国に八幡宮が建立された神社の一社と伝えられます。また永承年間(1046〜52)に源頼義・義家父子が奥州安倍一族征討のため石清水八幡宮に戦勝祈願をし、北関東の常陸・下野・上野に八社の八幡宮を勧請、その八八幡(やはちまん)の一社であるとも伝えられています。
 文治5年(1189)源頼朝が藤原泰衡を追討する為奥州に向かう際にも戦勝祈願し、当時の領主中村常陸介入道念西宗村はこれに従軍し、戦功を挙げ奥州伊達郡の地が与えられ伊達氏の祖となりました。翌年には伊達家の守護神となり、以後、源頼朝から神田を寄進されたり、代々の伊達家当主は社殿の造営や修理などを行ってきました。』とあります。
 又、例大祭には古式豊かな伝統行事である「流鏑馬」が行われます。この流鏑馬は、元文元年(1736)仙台五代藩主・伊達吉村が参勤交代のおり、この神社に神馬を奉納したことから、例大祭で若者が弓の腕を競ったのが始まりといわれています。この行事は一時途絶えましたが、1988年に地元の人たちの熱意で復活、当日は射手が陣笠・羽織姿で、陣太鼓の合図にて鳥居から本殿までの250mの参道を駆け抜け、馬上から的に向かい矢を放ちます。また大神輿が参道を練り歩き、午後には太々神楽も奉納されるようです。
 私達が氏子となっている、東京新宿区の穴八幡神社でも、未だに「流鏑馬」神事が継承されていますが、全国的に見ても御神馬を飼うことが難しくなっている昨今、「流鏑馬」を継続していくことは困難な時代となってきています。是非何時までもこの伝統行事を継承して頂きたいものですね。

神社入口、
両部鳥居と社号標
ここで流鏑馬が行われるのでしょうか、
深い杜の中、250mもある長い参道。
苔もついて大分落ち着いてきた、しょうわ狛犬
(昭和31年建立)
境内入口、明神鳥居と社号標
豊かな杜の前に建つ、
大きく荘厳な拝殿
拝殿の額、社名と龍神絵
拝殿正面、
八幡大神などの額が架かっています
拝殿内の様子
郷社八幡宮、大神宮、
八幡宮、八幡大神宮など、
沢山の額が奉納されています
市指定文化財で
市内では一番大きな本殿
こちらも立派な神楽殿
境内左奥の多数の末社


建久4年(1193)源頼朝が寄進した社領を、元和9年(1623)下館城主・水谷勝隆が
検地縄入れして取り上げてしまったので、氏子の村むらが相談し、
以後の社殿修理のためにと、寛永2年(1625)境内に杉、桧の苗2400本を植えたと記録がありますが、
それが大事に保護され、現在の見事な社叢を形成しています。
県下の神社にこれほど多くの桧の大木が植栽されている例は他にないのだそうです。
御神木の大ケヤキ 寛永2年に植樹された桧が
見事な社叢を形成しています
県指定文化財の木造神殿狛犬
南北朝時代(14世紀中頃〜末頃)の建立で、檜の縦材による一木造りです。
建立当初は彩色像でしたが、現在では、腹部などにわずかな白土、
阿形の舌に朱彩が微かに残る程度です。
吽形の頭頂部に小穴があり、角穴だとすれば、獅子、狛犬の組み合わせ像です。
頭部が小さく胴が長い狛犬ですが、鬣は渦や身体に沿って自然に流れが表現され、
顔は穏やかで品の良い落ち着きがあり、全体に静かな雰囲気が漂う狛犬です。
(この狛犬は事前に連絡すれば公開が可能のようです)
阿形 像高22.7cm 全身29.0cm 面幅5.4cm 銅幅9.7cm
吽形 像高22.3cm 全身30.0cm 面幅5.5cm 銅幅9.7cm
(栃木県の県指定等文化財一覧より)

(写真は「真岡市文化財マップ」より転載させていただきました)