奈佐原神社

鹿沼市奈佐原町(平成18年9月10日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 神社は、国道293号線を日光方面に向かい、道沿いにある神社入口の看板を左に入ります。道幅は狭いです。ここには狛犬さんがたくさん居ました。神社入口に安政6年、拝殿前に天保5年、それと境内社?(建物の中には仏様です)に安政6年、天保6年です。

 この神社は奈佐原の産土神で、御祭神は大己貴命です。創建は不明で、宝永2年(1705)の棟札がありましたが、奈佐原宿の大火で焼失してしまったとのことです。本殿は立派な彫刻が施されているとのことですが覆われていて見えないようです。例祭日は11月23日です。境内には小出神社・愛宕神社・八坂神社などが境内社として祀られています。
 奈佐原は江戸時代における日光例幣使街道沿い宿場町としての歴史を持っています。その頃の奈佐原宿は例幣使の本宿分(鹿沼宿・壬生宿)の継立をする間の宿で、大いに栄えていたようです。
 又、この地区では奈佐原文楽として、文化年間(1804〜1818)から操り人形浄瑠璃が演ぜられてきました。その後一時衰微しましたが、明治25年に再興し、現在は国の民俗無形文化財に指定され、文楽人形の頭20頭は県有形文化財に指定されています。

神社入口
安政6年(1859)生まれの狛犬。村山眉毛のせいか老成した感じがします。
耳が垂れ、阿のカイゼル髭が面白く、鬣が結構装飾的です。
尾はどちらかというと狐に近く、付け根が細く先が太く背中に張り付いています。後ろ姿は優雅です。
(安政6年(1859)建立)
拝殿 本殿覆い屋
天保5年(1834)生まれの狛犬。阿は角付き、吽は宝珠を乗せています。
上半身、特に前脚の付け根が逞しく、ボデイビルダーのような体つきをしています。
顔は愛嬌たっぷりですね。
(天保5年(1834)建立)
境内社?入口
境内社?社殿 (建物の中には仏様です)
安政6年(1859)生まれの狛犬。
入口の狛犬と同年に建立されていますが、とてもよく似ています。
もしかしたら兄弟かも知れません。
としたら、此方の方が若々しいので、弟たちでしょうか。
(安政6年(1859)建立)
天保6年(1835)生まれの狛犬。
こちらも拝殿前の狛犬より、一年後に造られていますが、よく似ています。
阿は角付き、吽は宝珠を乗せています。足も胴も短く、身体全体が纏まった感じがします。
奥目のせいか異国情緒を感じさせる顔つきで、尾は身体に比べて大きく太いですね。
(天保6年(1835)建立)

境内社・小出神社
小出大助が幕府の代官として当地に任ぜられたのは、寛政5年(1793)から享和元年(1801)までの9年間で、奈佐原宿は永年にわたる夫役(公用につかう人夫)の徴発に問屋も農民も苦しめられていました。大助はこの悪習慣を取りやめ、人々の保護に努め、また勤倹・貯蓄を奨励したり、荒地の開墾を図ったりしたので人々は救われ豊かになりました。その後、大助が飛騨国の代官を命ぜられたとき、人々は愛宕神社の境内に生祠(せいし)を建立して「小出様」として祀り、1月24日を例祭日と定め盛大に執り行ってきましたが、明治20年ころ愛宕神社と共に奈佐原神社の境内社として合併されました。(「北押原のさとめぐり」参照)