静岡市葵区宮ヶ崎町(平成14年9月22日)
地元では「おせんげんさん」の愛称で知られているようです。
古くから朝廷や幕府、武将、庶民などの信仰があつく、ことに室町
時代から江戸時代にかけて、今川・武田・豊臣・徳川家などの諸公が
あつく信仰しました。徳川第3代将軍家光公は、家康公の遺志をついで、
寛永11年(1634年)立派な社殿を造営寄進されましたが、安永2年
(1773年)と天明8年(1788年)の二度の火災で全焼してしまいました。
今の社殿は、徳川幕府の手により、文化元年(1804年)から慶応元年
(1865年)までの60年余をかけて、寛永時代同様の社殿を再建しました。
総漆塗、極彩色の壮大で美しい社殿群は、江戸時代末期を代表する
神社建築物として、昭和46年6月22日にすべての社殿24棟が、国の
重要文化財建造物に指定されました。
あまりにも立派で壮麗な社殿は、古くから『東海の日光』と呼ばれ、
日光東照宮と並び称されています。
以上が公式発表ですが、決して誇張でなく、日光東照宮を凌ぐとも
言えます。我が女房も地元のご婦人より是非本殿をご覧になって下さい
と、進められた様です。そのご婦人は東海一、と言っておられましたが
東海一でなく日本一と言えます
楼門
神楽殿
境内の様子
拝殿
本殿正面
本殿側面
摂社、八千才神社
この神社はその壮大さと壮麗さ、彫刻の精緻さ、煌びやかさ、
何から何まで桁違いの規模にただただ感心するばかりでした。