穂積神社

静岡市葵区平山(平成15年5月17日)

 慶応4年(明治元年)3月28日、「太政官達」として神仏分離令が出された。その内容は次の如きものである。
 「中古以来某ノ権現、或ハ牛頭(ごず)天王ノ類、其ノ外仏語ヲ以ッテ神号ニ相称へ候神社少ナカラズ候、何レモ其ノ神社ノ由緒委細ニ書付ケ、早々申シ出ズベク候事。但シ勅祭ノ神社、御宸翰、勅額等コレ有リ候向ハ、是レ又伺ヒ出ズベシ(中略)
1、仏像ヲ以ッテ神体ト致シ候神社ハ、以来相改メ申スベク候事附、本地ナドト唱へ、仏像ヲ社前ニ掛ケ、或ハ鰐口、梵鐘、仏具等ノ類差置キ候分ハ、早々取リ除キ申スベキ事

 右の達(たっし)にも見られる如く、何々権現、或いは牛頭(ごず)天王(印度の仏法を守護する神で、素戔鳴命(すさのみこと)の本地。各地の天王様と呼ばれる神社は、この牛頭天王より来る名称である。)などと呼ばれている神社の、社名の変更を命じたのである。龍爪権現もこの達によって、「穂積神社」と改称された。なお、由緒書きを提出させたのは、その神社の沿革を知るためと、社名変更などの典拠ともした。又天皇、或いは皇室に関係ある(仏名の)神社には、政府もその扱いを慎重にした。
 このような神仏分離政策は、明治新政府が徳川幕府の政治にとって替る、最も中心的な政策の1つであった。そして神道を国教とし、神武創業復帰をスローガンに、王政復古、祭政一致の新政策を、強力に押し進めて行ったのである。

神社全景、明神鳥居

水鉢、彫刻と
支えの俵が変わっている

ご神木

下山途中の蕎麦屋でビールを飲んでいたら、地元のおじさんが昼間から焼酎を飲んでいる。流石静岡お茶処、焼酎に抹茶を入れて飲んでいます。そのおじさんにこの神社を参拝してきた、と言うと、鳥居が新しいだろう、つい先ごろ作ったばかりだ。という。どうもこのおじさんも寄付をしたらしい。誰それはウン十万とか、誰々は百万出した、とか。総額八百万位かかったようです。