天神神社
下田市蓮台寺352(平成21年2月21日)
東経138度55分56.94秒、北緯34度41分39.72秒に鎮座。
この神社は118号線沿い、蓮台寺温泉の西方高台に鎮座しています。広い社頭には蓮台寺公会堂が建ち、ベンチも置かれて地域の方達の憩いの場ともなっているようです。大きな森の中の境内には急な石段を上がりますが、左右には赤い手すりが付けられ、私のような足弱でも休み休み上がることが出来ました。境内にはいるとすぐ右側には岩を抱くように根を張った御神木が聳え、左側には今時珍しい半鐘が付いた火の見櫓があります。拝殿前には天神様に相応しく紅白の梅の木が植えられ、社殿左側には国指定有形重要文化財・大日如来坐像や市指定文化財・四天王像が安置されているお堂が建立されています。
御祭神:菅原道真公
由緒:このあたりには天平勝宝3年(751)行基創建の真言宗の古刹・蓮台寺があったといわれ、鎌倉承久年中(1219〜21)に廃寺後、うしろの小丘に大日堂が建立され、以来700余年神明様即ち天照皇大神さまとして村人の崇敬篤く年々祭事を怠ることがありませんでした。
拝殿右手に小祠が祀られ、江戸正徳年代(1711〜1716)再建されるまで天神様は鎮座されていました。
現在御祭神は菅原道真公ですが、古代からは所謂自然神、雷神、また太陽崇拝、天神信仰だったものと推察されています。
社頭 |
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石段の参道 |
境内入口 台輪鳥居 |
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境内の様子 |
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拝殿 |
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拝殿に架かる額 |
拝殿内の様子 |
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本殿鞘堂 |
本殿正面 |
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大日如来堂 |
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国指定有形重要文化財・大日如来坐像
このあたりに行基創建の真言宗の古刹・蓮台寺があったといわれ、蓮台寺の遺宝である大日如来坐像は、鎌倉時代前期にこの寺が廃絶したのちは丘の小堂に安置され、「神明様」として村人の信仰を集めてきたと伝えられています。神仏混淆の信仰のなかに守られてきた像であり、今も天神神社境内の収蔵庫に安置されています。
大日如来とは「大毘盧遮那成仏神変加持経(大日経)の教主であり、大日経の説く胎蔵曼荼羅中台八葉院九尊の主である。また金剛頂経の説く金剛界曼荼羅五智如来の中心。空海の開いた真言宗において、究極的には修行者自身と一体化すべきものとして最も重要な仏陀である。不動明王は、密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされている。後期密教を大幅に取り入れたチベット仏教でも、大日如来は金剛界五仏(五智如来)の中心として尊崇される。チベット仏教では、宝飾品を身に纏わずに通常の如来の姿で表現されたり、あるいは多面仏として描かれることもある。
像形は、宝冠をはじめ瓔珞などの豪華な装身具を身に着けた、菩薩のような姿の坐像として表現される。これは古代インドの王族の姿を模したものである。一般に如来は装身具を一切身に着けない薄衣の姿で表現されるが、大日如来は宇宙そのもの存在を装身具の如く身にまとった者として、特に王者の姿で表されるのである。
印相は、金剛界大日如来は智拳印を、胎蔵界大日如来は法界定印を結ぶ。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より) |
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市指定文化財・四天王像
持国天、多聞天と伝えられている像は、像高約130センチ、古様で平安時代にさかのぼる可能性があるといわれていますが、近世の稚拙な彩色によって当初の像容をうかがうのは困難となっています。他の二天は像高も小さく、江戸時代の作と推定されています。 |
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境内にある火の見櫓 |
御神木 |
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天神社に似つかわしく、拝殿前には紅白の梅が植えられています。 |
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境内入口右の御神木は根元が岩を包み込む様に成長しています。 |
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絵馬 |
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