白濱神社

下田市白浜2740(平成18年10月7日)
          (平成21年2月7日再訪)

 この神社は国道135号線沿いの白浜海岸北に鎮座しています。道路沿いには鬱蒼とした古樹が目立ち、その中に朱の神橋が架かり、昭和10年生まれの江戸狛犬が入口を見守る形で置かれています。その右手には「伊豆最古の宮」「源頼朝公参拝の宮」「北条早雲信仰の宮」という立て看板も立っています。数段の階段を上がり朱の明神鳥居を潜ると、背後を国指定天然記念物の青桐樹林、県指定天然記念物の伊吹樹林などの鎮守の杜に護られて明るく開けた境内が目に入り、その境内を貫く参道左右には樹齢・2000年とも云われるご神木・薬師の白槙、白龍の白槙が燦然と白い幹を輝かせ聳えています。そして真正面奥には精緻な彫刻が施された拝殿が堂々と建ち、それを寛政生まれの重厚な狛犬と、思わず撫で撫でしたくなるほど可愛い極小の狛ちゃんがお守りしています。本殿はその背後の山上に建てられ、境内左の本殿入り口と記された案内を見ながら白木の八幡鳥居を潜り、青桐樹林中の階段を上がっていくと、神域の厳かな雰囲気が徐々に崇敬の気持ちを盛り上げていき、本殿前では自然に頭を垂れ無心に祈りを捧げていました。

 社務所で戴いた社誌には「主神:伊古奈比当ス(三島大神(事代主命)の最愛の后神様で、縁結びと子授けの神様)、三島大神(別名 事代主命。大国主命の御子神様にあたり、恵比寿さんとも呼ばれ商業と漁業の神様)。相殿:見目(若宮、剣の御子同様三島大神のお供の神様で、縁結びの女神様)、若宮大神(知恵と繁栄の神様)、剣の御子(武道の神様) 。

 由緒:伊豆ノ国最古の宮で、御祭神の三島大神(別名事代主神)は、その昔(今から2000年以上も昔のことです。) 南の方から海を渡ってこの伊豆へやって来ました。伊豆でも特にこの白浜へ着かれたのは、その白砂の浜があまりにも美しかったからです。 そして白浜に着いた三島大神は、この地主であった富士山の神様に会って伊豆の土地を譲っていただきました。さらに、三島大神は伊豆の土地が狭かった為お供の見目(みるめ)の神様、若宮の神様、剣の御子と、伊豆の竜神、海神、雷神の助けをかりて、島焼き、つまり島造りを始めました。 最初に、一日一晩で小さな島をつくりました。 初めの島なので初島と名づけました。次に、神々が集まって相談する島神集島(現在の神津島)、次に、大きな島の大島、次に海の塩を盛って白くつくった新島、次にお供の見目、若宮、剣の御子の家を つくる島・三宅島、次に三島大神の蔵を置くための御蔵島、次に沖の方に沖の島、次に小さな小島、次にてんぐの鼻のような王鼻島(ほうでしま)、最後に十番目の島、十島(現在の利島(としま))をつくりました。 七日で十の島をつくりあげた三島大神は、その島々に后(きさき)を置き、子供をつくりました。この后々や子供達は、現在でも伊豆の各島々に式内社として奉られています。三島大神は、后達やその子供達を 大変愛していましたが、そのなかでも伊古奈比当スとお供の見目、若宮、剣の御子を連れ再び白浜に帰って来ました。そしてこの白浜に大きな社をつくり末長くこの美しい白浜で暮らしました。 それが、この白浜神社です。 現在の白浜神社の御本殿は一つでその中にこの三島大神、伊古奈比当ス、見目、若宮、剣の御子を合わせてお奉りしていますが、以前は、本殿が二社あって、右側に三島大神、左側に伊古奈比当スが それぞれ仲睦まじく奉られていたそうです。
 歴史的には、最古のものとしては、日本後紀淳和天皇・天長九年五月二十二日の條に「伊豆国言上、三島神、伊古奈比めの命神二神預名神…」とあります。 この他、続日本後紀、文徳実録、三代実録等にも現われその位は、後土御門天皇文亀元年には、三島神、伊古奈比当ス神共、正一位という高い位を受けています。そして、延喜式には、三島神社、伊古奈比当ス神社が二社共、この白浜に鎮座していたことが書かれており、その社格は三島神社が官幣大社、伊古奈比当ス神社が国幣大社となっています。

 毎月1日・15日には月次祭が執り行われ、例祭は10月28日 前夜祭(午後5時)、火達祭(午後6時、神社裏の海岸で行われる伊豆随一の火祭で、伊豆の島々の后神達や御子神達に三島大神の祭典を知らせる合図の祭)  10月29日(午前6時、無形文化財の三番叟の舞奉納) 例祭(午前10時)  10月30日 御幣流祭(午後4時、三日間の祭典が無事終了した印に御幣を海岸から各島々に流す祭で、神社裏の大明神岩で行われます)」とあります。

 今回は私が実家の母、叔母、姉たちと親孝行旅で訪れたので、夫は同行せず残念がっていますので、次回は夫と二人、裏手(東側)の海岸・大明神岩にも行き、海に向かって建つ朱の鳥居や、本殿真裏に当る神域・磐座、遠くの神山まで続くという伝承がある、本殿真下にある祠まで続く洞窟にも行ってみたいと思っています。


 (平成21年2月7日再訪)
 今回は夫と二人で再訪しました。神域は前回同様神々しい雰囲気を漂わせる素晴らしい佇まいでしたが、本殿入り口の鳥居が朱の鳥居に変わるなど変化もありました。
 又今回は、社地裏側(東側)の海岸・大明神岩にも行き、海に向かって建つ朱の鳥居や、本殿真裏に当る神域・磐座、遠くの神山まで続くという伝承がある、本殿真下にある祠まで続く洞窟入口にも行ってみましたが、御祭神の三島大神(別名事代主神)が海からこの地にやってきたことが肯ける景観でした。只、本殿真下にある祠まで続く洞窟は崖崩れのため入口が塞がれていました。

社頭

入口から拝殿

本殿参道入口から本殿

東側の海岸、神域・磐座