富士浅間神社

下田市敷根1(平成21年2月21日)

東経138度56分45.96秒、北緯34度40分31.88秒に鎮座。

 この神社は伊豆急下田駅西に聳える下田富士(標高191m)山頂に鎮座しています。この山は南北方向から見ると、綺麗な円錐形の山ですが、東西方向から見ると南になだらかな山で、参道はこの南側のなだらかな尾根づたいに造られています。
 136号線・下田駅南交差点に入口があり、大正9年生まれの江戸流狛犬の姿を見て暫く堪能した後、おもむろに鳥居を潜ると、石段の参道が始まります。鳥居の左手には、境内社・淡島明神が祀られ、数十段の石段を上ると不動堂があり、さらに上ると拝殿が建立されています。拝殿の左側には龍爪神社が祀られ、ここから山頂の本殿までは約17・8分ほどの山道が参道となっています。山道をしばらく上ると、八合目位に小さな末社が祀られ、尚も進むと岩っぽい道になり、最後の登り坂を上がると山頂の鳥居が見えてきます。山頂は少し広くなっており奥に本殿が建立されています。その本殿の後方には石塔が立っていました。

 御祭神:木花開耶姫
 例祭日:6月1日
 境内社:淡島明神、龍爪神社
 由緒:この社の創建は不詳です。「伊豆国神階帳」に「従四位上いわよ姫の明神」とある古社で、式内社・意波與命神社に比定されています。
 永正年中(1504〜1521)この地の地頭・朝比奈知明がこの地に祀られていた九祠を一棟に改め、社殿を造営しました。社記(元禄6年・1693)によると江戸時代には御牟漏御所竹彦明神とも称していましたが、何時の頃か山容から「浅間神社」と改称したといいます。

下田駅から見えるなだらかな山容の下田富士(標高191m)
右側山頂に富士浅間神社本殿が建立されています。
社頭
136号線・下田駅南交差点に入口があります。
社号標 参道入口
参道入口左に置かれたお地蔵様
伝説「田圃の中の大鳥居」
 今は西本郷と呼んで道路添いには商店が立ち並んでいるが、昔は原田田圃と呼んでこのあたりは一面の田圃であった。土浜と門脇との中間あたりの道路傍に、ぽつんと大きな石の鳥居が立っているが、どこを見ても神社も見えないので、伊豆の七不思議の一つと云われる程の謎の鳥居である。
 昔、本郷富士山頂の浅間神社へ、或る名高い僧侶がお経を誦じ上げた時、そのお坊さん、どうしたわけか、そのお経文を読み違えてしまった。すると富士の権現様は大そうお怒りになり、たちまち大邪鬼に化身せられて、そのお坊さんをひっつかんで山の頂上から原田田圃へドシーンとほうり投げられた。坊さんは前後不覚に落ち入った。
 やがて夢の中に波布大明神様が現れ給うて、「坊さんよ、お前が尊い御経文を読み損なったのは神様にも仏様にも本当に申訳ないことだ。今となっては仕方がないから、此の所へ鳥居を建ててお祭りをしますと誓を立て、御詫びしたらよろしかろうぞ。」と教えられた。やがて目が覚めた坊さんは、波布大明神様に御礼を申し上げ、続いて教えられた通り富士権現様には「鳥居を建ててお祭りいたします。」と御約束をして、詑言を厚く念じた。浅間様の御許しあってか、彷さんには少しの怪我もなかった。
 神様への約束念願通り、坊さんは石の鳥居を田圃の真ん中へ建て、ねんごろに祭り供養を営んだと云うことである。
下田市の民話と伝説 第2集より
(「教育委員会生涯学習課社会教育係」HPより)
この入口から石段の参道が始まります。
石段参道入口に建立された大正9年生まれの江戸流狛犬
阿は子連れで、吽は玉に手を掛けています。江戸流狛犬の最盛期は過ぎていますが、丁寧に良く造られています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正9年(1920)7月16日建立)
参道入口の台輪鳥居 石段の参道
鳥居左手の境内社:淡島明神 鞘堂と社殿
石段を上がったところに祀られる不動堂とお不動様
拝殿
拝殿左の境内社:龍爪神社
ここから山道の参道が始まります。 末社の小祠
なだらかな山道の参道
参道から東側に伊豆急
下田駅が垣間見えました。
山道の参道は未だ続きます
八合目位に祀られた末社 「南無富士浅間大菩薩」石碑
最後の登り坂です。 やっと境内入口の鳥居が見えてきました。
境内入口の神明鳥居
本殿
山頂の水鉢と燈籠 本殿後方の石塔



江戸時代までは富士浅間神社と一体だったと思われる
下田富士南東麓に有る曹洞宗福泉寺
福泉寺墓地上の社叢が
富士浅間神社参道になっています。
「不二峰」の額が架かる福泉寺本堂
福泉寺本堂前にいる建立年代不明の江戸流れ狛犬
若々しく良い造りの狛犬ですが、台座から落ちたことがあるのでしょうか?脆い石で出来ているのでしょうか?あちこちに剥落が見えます。
狛犬の拡大写真はこちらで