諸口神社

沼津市戸田2710(平成18年10月7日)

 この神社は戸田港から鳥のくちばしのように伸びる全長750mの御浜岬の先端に鎮座しています。神社駐車場脇から、駿河湾越しに眺める富士山はまさに絶景で、波音を聞きながら、一日中浜辺でのんびりしていたい気分になりました。駿河湾に向かって建つ朱の一の鳥居奥の境内は、石垣に囲まれています。参道を歩いていると、海辺で暖かな地方のせいか、樹叢が明るく南国的な感じがしました。拝殿脇に建つ社号標には「延喜式内 諸口神社」とあり、由緒には延喜式記載の「国玉姫命神社」に比定されていました。木鼻、挙鼻の色鮮やかな彫刻の施された拝殿と、朱に塗られた本殿は、姫神をお祀りしているせいでしょうか。
 由緒には「祭神:橘姫命
 当社の創建由緒等詳ならざれども、増訂豆州志稿によれば、延喜式神名帳伊豆国那賀郡二十二座の内、国玉姫命神社にて伊豆国神階帳従四位上もろき姫の明神に座すとなす。
 もろき姫、国玉姫、橘姫は同一神でもあろうか、現称諸口はもろきと同語にて古来当社を弁天と称し、女神なること明らかなり。航海及漁業者の守護神とし崇敬あつく海上安全、大漁満足を祈願し、諸船この沖を通過すると言う。
応永八年(1402)三月再建、明治十二年八月村社に列す
 現社殿は昭和二十八年四月改築 」とあります。
 毎年4月4日に執り行われる大漁祈願の祭典は、御浜岬の舞台で歌謡ショーや郷土芸能の漁師踊り等が行なわれ、港内は大漁旗をなびかせた漁船で彩られ、大変賑やかなようです。
 又駐車場隣には「戸田造船郷土資料博物館」がありましたが、戸田は日本で初めて洋式帆船が造られた近代造船の発祥地です。幕末の嘉永7年(1854)に日露和親条約の締結を目指した、プチャーチン提督を代表とするロシア軍艦ディアナ号が戸田沖で沈没しました。漁民による必死の救助活動の後、代替船として日本人船大工を中心に洋式帆船「戸田号」が建造されたのです。このため戸田では、現在でもロシアとの友好交流の歴史が息づいているのだそうです。

神社遠景。
バックに雄大な富士山。浮世絵になりそうな構図です。
神社の入口は駿河湾に面しています。 海に向かって建つ朱の一の鳥居
境内は石垣に囲まれています。
参道と鎮守の杜の様子。
流石、海辺で暖かな地方です、樹叢が南国的な感じがします。
社号標「延喜式内 諸口神社」 石組みの上に建つ拝殿
拝殿挙鼻の龍、目にも鮮やかな朱は火炎を表しているのでしょうか。
拝殿の木鼻、狛犬と象。
拝殿内の様子 本殿
境内左脇の境内社 裏参道入口に建つ朱の明神鳥居