三嶋大社

三島市大宮町2-1-5(平成14年9月21日)

東経138度55分20.61秒、北緯35度7分1.29秒に鎮座。

 この神社は三島駅の南東約1kmに鎮座しています。
 伊豆国一宮・総社で広い社地に重要文化財の本殿、幣殿、拝殿等が建つ格式ある神社です。

 主祭神:三嶋大明神(大山祇命、積羽八重事代主神を総称)、配祀:阿波神(三嶋明神の后)、伊古奈比当ス(三嶋明神の后)
 祭礼日:1月7日・田祭、2月3日・節分、4月3・5日・稚児健康祈願祭、6月30日・夏越大祓、8月15〜17日・例祭、12月31日・師走大祓
 摂社:若宮神社、見目神社、末社:船寄社、飯神社、酒神社、第二社、小楠社、大楠社、天神社、聖神社、第三社、幸神社、幸神社、伊豆魂神社
 由緒:この社は式内社(名神大)で伊豆国一宮、旧官幣大社で別表神社となっています。
 御祭神については三嶋大明神の本体は大山祇神であるとする説が有力でしたが、平田篤胤が『二十二社本縁』の賀茂社条にて事代主神説を唱え、それに基づいて明治6年、祭神を事代主神に改めました。しかし、大山祇神説、事代主神説どちらも決定的なものではなく、また大山祇神、事代主神ともに関係の深い地であることから、昭和27年に現在の二神同座に改めました。
 創建に関しては極めて古く不明ですが、三宅島(現 富賀神社)→下田・白浜海岸(現 伊古奈比当ス神社)→大仁町(現 広瀬神社)→現在地と遷宮したとの伝承があります。他に、伊予国大三島の大山祇神社からの分社との説もあります。
 延喜式神名帳には「伊豆国賀茂郡 伊豆三島神社」として記載され、延喜式が書かれた平安時代初期には賀茂郡の下田・白浜海岸に正妃・伊古奈比当スを祀る神社と並んで建っていました。白浜海岸には現在、伊古奈比当スを主祭神とする伊古奈比当ス神社があります。
 現在の三嶋大社は、平安中期以降に田方郡の国府の近くに新宮として分祀されたものであるとされます。現在地には元々若宮八幡がありましたが、三島明神が若宮八幡に「藁一把分の土地を譲ってくれ」と言い、若宮八幡がそれくらいならと了承すると、三島明神は藁の束を解いて輪にし、若宮八幡の広大な敷地を囲んで占有してしまったという伝承が残っています。現在、若宮八幡は三島市西若町に鎮座していますが、そのために三嶋大社に背を向けて建っていたといいます。(現在は、三島大社と同じ南向きに建っています。)
 伊豆国一宮であり、総社も兼ねていたとされ、源頼朝は伊豆流刑時代から当社を崇敬し、鎌倉幕府制立後は伊豆山・箱根とともに当社を重んじ、又、中世以降は武家、庶民の信仰を集めました。中世以降、暦を発行し、「三島暦」として全国に知られています。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

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惣門
惣門に架かる注連縄
右本・左末で左綯いのかなり大きく太い注連縄です。
神門
神門を境内側から 御神馬
舞殿
重要文化財・拝殿
拝殿の素晴らしい彫刻
拝殿内部
まるで犬のような神殿狛犬も居ます
重要文化財・本殿
境内と摂社

若宮神社
(物忌奈乃命 譽田別命 五十鈴姫命)
見目神社
(波布比賣命 久爾都比当ス 伊賀牟比当ス
佐伎多麻比当ス 伊波乃比当ス 優波夷命)
国天然記念物指定・金木犀
樹齢・1200年を超えると推定される巨木で、
現在もっとも古く、かつ大きな金木犀だそうです。
旧神楽殿?