子安神社(奈疑知命神社)

賀茂郡河津町縄地1(平成21年2月21日)

東経138度59分26.69秒、北緯34度43分3.32秒に鎮座。

 この神社は相模湾に流れこむ縄地川河口右岸に鎮座しています。この社は前回この辺りの神社探訪に訪れた時には、地図だけで探すと135号線沿いに書かれているにもかかわらず、下に降りる道路が見つからずパスしてしまったのですが、今回は玄松子さんの「玄松子の記憶」を参考に、135号線にある「峰田屋商店」脇から一旦北に入り、坂道を降りすぐ左折。縄地川に沿って135号線の下を潜り相模灘へと流れ込む河口部へ進んで行き、目出度く神社にたどり着くことが出来ました。その際道路に出ていらした親切な峰田屋商店のご主人が、現社名の由来ともなっている社殿裏の「乳神様」や、乳神様と対を為すという「男根岩」の事も教えてくださいました。
 神社は海岸線の崖と崖の間の幅約70〜80m程の砂浜脇の崖下にあり、地震が多い伊豆半島で津波の被害に遭わないのかと心配になる様な所に鎮座しています。嘗ては縄地川上流の「なぎの森」に鎮座していたという事ですが、如何なる理由で現在地に遷座されたのか不思議でしょうがありません。
 現社名は子安神社といいますが、境内入口の社号標には「延喜式内奈疑知命神社」と刻まれていす。何時の頃からか奥院鞘堂後ろの崖の洞窟を女性器に見立て、乳神様としての崇敬が篤くなった分式内奈疑知命神社の影は薄くなり、社名が変更されてしまったのでしょうか? 鳥居をくぐり参道を進むと左手に大きな神楽殿、正面に拝殿・奥院が建っています。
 その奥院を回り込むと小さな石の祠と共に中に人が入れるほどの岩の割れ目があり、その形が女性器に似ている事から子孫繁栄や安産・乳の出が良くなるなどの信仰と結びつき、乳神様の信仰が興ったようです。又、境内左側の浜辺の縄地川河口右岸には乳神様と対を為すという男根岩があり、余計に信仰の相乗効果が大きかったのでしょう。

 御祭神:奈疑知命、相殿:大山祇命(山神社)、素盞嗚命(天王社)
 例祭日:10月18日
 由緒:式内社・奈疑知命神社に比定されている古社で、創建年代は不詳です。
 時代も理由も不明ですが、古くは縄地なぎの森に鎮座した社が現社地へ遷座されたということです。江戸時代は「子安神社」と称し、慶長12年(1607)3月大久保長安が鰐口を寄進しています。延宝7年(1679)2月には社殿が修理されています。
 明治6年9月村社に列し、同40年1月18日に山神社・天王社が合祀されました。

社頭
社号標
「延喜式内奈疑知命神社」
入口の木製台輪鳥居
境内の様子
拝殿前、昭和27年生まれの招魂社系狛犬
(昭和27年(1952)12月1日建立)
拝殿
拝殿内の様子 奥院鞘堂

奥院鞘堂の後ろの崖
乳神様
境内左、縄地川の河口右岸にある
乳神様と対を為すという男根岩
乳神様と慕われる、
女性器を象った洞窟入口
神楽殿


子安神社対岸に見える小さな鳥居
名称不明のお社
鳥居も社殿もきちんと造られ、お供え物もあり、何方かが定期的に管理されているようです。
子安神社境内左の浜辺からは、相模灘の遥か遠く、大島も臨むことが出来ます。
(肉眼ではハッキリと見えていた大島も写真だとボンヤリとしています。お分かりになるでしょうか?)