伊那上神社

賀茂郡松崎町宮内37(平成21年2月8日)

東経138度47分6.54秒、北緯34度44分56.62秒に鎮座。

この神社は、松崎町役場の300m程の辺り、136号線に面して、東側に鎮座しております。松崎の街中にある神社ですが、杜に囲まれた広い社地を持つ落ち着いた神社です。

祭神:積羽八重事代主命
創立:不詳
社格:郷社(式内社)
例祭日:十一月三日
御由緒
 社傳に依れば當社は第五十二代嵯峨天皇弘仁八年(817)、伊豫國越智郡三島より遷座したと傳えられ、また伊豆國國府三島より遷座したと傳えられる。文治元年(1186)の文書に仁科荘那賀郷三島宮正中二年(1346)の文書に三島大明神、慶長十三年(1608)時の金山奉行、兼伊豆代官大久保石見守が寄進した金燈籠には仲神社とほりこんである。昔は三島大明神、三島宮または仲神社といわれたのである。
 承安三年(1173)、源頼朝當社に参詣され、社田を寄進したので、其の後は将軍家の尊崇が篤く、神領五百石を領し、宮殿廣大荘厳、末社八十有余を有し、西伊豆第一の大社であったが、天正年間の大火に遭い、時の社司金差義長四拾余社を再建して従来の大社の面目を保ったが、続いて間もなく慶長年間に再び火災に遭い、壮麗の新宮殿、本社、拝殿、社寶、旧記、等一宇も余さず全焼したが、なお二十石の御朱印地を賜わって、大社の面影を今も傳えている。
 上宮とは慶長五年(1600)の神領附の古文書が最初である。
 次に現在の伊那上宮という名の現存しているものでは、正徳二年(1712)の棟札が最初で唯一神道祭官 従五位下 金指伊賀守義治が署名して豆州那賀郷大鎮守也といって従来の伊豆五大社の面目を伝えている。
境内由緒書より。全文はこちら。

神社入り口

鳥居

拝殿

本殿覆い屋

本殿

御神木の切り株と土俵

御神木