鹿嶋神社

掛川市三俣837-1 (平成23年4月8日)

東経138度3分29.72秒、北緯34度39分52.4秒に鎮座。

この神社は、掛川市南東部、菊川河口近くの西側に広がる三俣地区に鎮座しております。200m程南には掛川市役所支所(旧小笠郡大東町・町役場)が有り、南東部の中心だったと思われます。しかし、住宅が密集しているということはなく長閑な郊外といった雰囲気の中、緑に囲まれひっそりと鎮まっております。

鹿嶋神社
御祭神 武甕槌神・天之御中主之神
由緒
勧請年月は不詳。後宇多天皇(91代)の御代、建治年間(1277)御神体が菊川上流から流れついた。里人が拝みいただいてこの地に奉斎したとされ、この付近一帯を「鹿嶋」という。
創始期は土地の首長の「霊所」とし三俣村の産土神の鎮座地にと変遷した。棟札(1680年)によって判然とする。又神社の基盤が円墳状になっている。東岸の国包と並んで砂鉄を主としたタタラ師が生活基盤をなし、鍛冶の神としても崇められたのではないか。平安・鎌倉期を通じ漁労・雨乞・安全祈願が中心で建治年代(1275〜1277) に常陸の国(茨城県)より御分霊をいただき鹿嶋神社と改称した。
神が川上から、これは常陸の国から下臨して現在地に祭られたという考え方である。
下って元亀二年(1570)里人である宇田法眼藤原元西なる者、鎮座地を寄進し本殿を再建し、鍵取に宇田法眼藤原文衛門を命じた。
高天神城の戦で武田・今川両軍両軍の兵士の霊も祭られたと伝えられている。
天正九年高天神落城後延宝(1680) 再建する。その後社が大破しても旱魃による凶作のため修復できず、明治二十年(1887) 八月十三日氏子有志の浄財により上棟、二十七日に遷宮さる。・・・・・・・
境内由緒書より。全文はこちら。

参道入口

社号標と参道

鳥居

拝殿

拝殿内部

本殿覆屋


天伯神社 白山神社