伊豆市修善寺 (平成22年1月22日)
東経138度55分53.25秒、北緯34度58分6.14秒に鎮座。
【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
神社は、修善寺の温泉街にありました。説明板によると、もとは修禅寺の山王社だったそうです。境内には、スギ、イチイガシ、カゴノキ、ケヤキの大木があり、見応えがあります。
日枝神社は修禅寺の鬼門に当たり、弘法大師の建立といわれる。 明治初年(1868)の神仏分離令により分離されたもので、もとは修禅寺の山王社(鎮守)であった。毎年10月18日、19日には例祭が行われ、18日の前夜祭には神輿が練り歩き、威勢の良い掛け声が温泉場中に響き渡る。
境内には夫婦杉の大木や、静岡県指定天然記念物の一位樫などがそびえ立っている。一位樫は九州地方に生育する木で伊豆では珍しい。
また、源範頼が幽閉され住んでいたという信功院跡(庚申塔のみ現存)もある。
境内由緒書より。原文はこちら。
修禅寺の鬼門に当たり・・・と書かれていますが、地図を見ると、隣りの修禅寺からは東になり、鬼門では無い。きっと創建当初は鬼門だったのでしょう。『延喜式』には「伊豆国禅院一千束」と書かれる程の寺院であったそうで、現在の温泉街がそのまま寺であったのかも知れません。創建は大同2年(807)。空海が創建したと伝えられ、当初は勿論真言宗。応永9年(1409)の大火災で伽藍が全焼し、荒廃したが、伊豆一国を収めた北条早雲が、叔父の隆渓繁紹に曹洞宗の寺院として再興させ、現在も曹洞宗の寺院。山号は福地山。因みに地名は「修善寺」。寺院は「修禅寺」。読みはどちらも「しゅぜんじ」だそうです。しかし、日枝山王と云えば比叡山。嘗て天台宗だった時も在ったのでしょうか。
神社入り口
巨木が聳える参道
境内入り口と拝殿
子宝の杉
天に向かって真直ぐに聳え立つ、ごく稀なる根幹が接合した樹齢八百年の大杉。子は夫婦の鎹(かすがい)
掲示板より。
本殿
イチイガシ。根廻り5.5m、目通り4.5m樹高25m。
カゴノキ。〈鹿子の木〉