八幡宮来宮神社

伊東市八幡野(平成19年3月4日)

 この神社は国道135号線・八幡野の信号から山側に入り、光願寺を左に見て突き当たりを左折すると、大江院奥に鎮座しています。此処に掲載した写真は3月4日の物ですが、実は前日にも参拝していました。けれど夕方で人の眼には差し障りがありませんが、写真だとどうしても薄暗くきちんとした映像にならないので、こんなに素晴らしい神社を綺麗な写真で発表出来ないのは残念、と次の日朝一番で参拝に参りました。明け方の神社には独特の清々しさがあり、特にこの社は私達が参拝した数多くの神社の中でもとびきりの神々しさが感じられる神社でした。朱に塗られた神門を潜るとそこは外界とは隔絶された世界となり、広大な社地は鬱蒼とした高木や天然記念物の指定を受けている社叢に覆われ、山麓の斜面を利用して造られた境内は神域に最も相応しい雰囲気に充ち満ちています。こんなに感銘を受けた神社は数少なく、夫は「今回の一押しの神社だな〜。」と言っておりますし、私は過去に参拝した四千数百社の神社の中でも、十指に入る神社ではないか…と思っています。

 入口左に建つ「八幡宮来宮神社 創立一千二百年 由緒記」には、
 「比の地に鎮ります八幡宮来宮神社は、その創立を悠久の昔に発し、郷黨衆庶の尊崇篤く、神威赫々として今日に到った古社である。
 八幡宮は誉田別命(応神天皇)を祀る、神護景雲三年大宰の廟官阿曽麻呂が一国一社と定めて正八幡を勧請した際の伊豆の代表八幡宮であって、明治六年郷社に列格された。
 来宮神社は伊波久良和気命を祀り、古来、来宮大明神を崇められた延喜式神名帳所載の神社である。もとは海岸の堂の窟に祀られていたが、後に八幡宮神域に奉遷され、明治九年郷社に列せられた。
 元来両社は別殿であったが延暦年間本殿再建の際に一殿両扉の現在の姿になったと言い傳えられている。従って当社は一殿にして二社である。このたび当神社御鎮座千二百年大祭を斎行するに当り、記念事業の一として石造大鳥居一基を奉献。いささかその由来を記して崇敬の誠をささげ、この地平安と住民の弥栄を祈願するものである。」と有ります。
 御祭神:譽田別命、伊波久良和氣命
 由緒:大昔、来宮の神様は、瓶にのって神社付近の金剛津根に漂着したと言われ、この神を海岸近くの洞窟にお祀りしていましたが、後に現社地に遷宮されました。来宮の神様は大変な酒好きで、沖を通る船を止めてはお酒を献上させたため、船人達は困り果て、船の見えない岡の方に遷しましたが、そこからも少し海が見えたので、再度遷したと伝わっています。
 祭礼:9月15日、16日・例大祭
 この社の秋祭りは伊東市の秋祭りの中でも一番早く、市内でも古く格式の高いお祭りとして知られています。八幡宮来宮神社から海を目指して行列が練り歩く「御下(おくだり)り」の式は、八幡野海岸までのおよそ1.5kmの道中を氏子達が全く言葉を発しないように榊の葉を挟んだ切り紙を口にくわえて、2基の神輿とともに町内を練り歩く、おごそかで歴史の重みが伝わるお祭りです。翌日の「御上り」では午後からは八幡野港などで女装をした若衆らが1トンほどの重さのある「万灯(まんどう)」を威勢良く持ち上げる漁師町の名物行事や子ども達の山車の引き回し、粋なケヤリ、シャギリなどの行列がでて賑やかな秋まつりとなります。

神社入口 「八幡宮来宮神社
 創立一千二百年 由緒記」
境内左の大木
何の木かは分かりませんが、
毅然として姿の良い古木です。
朱に塗られた神門
神門左の奥、神輿倉
「此処は八幡宮と来宮の合祀神社で
神輿も二基有ります。
安永7年(1778)の修理の記録があるので
実際に奉納されたのはもっと
古い時代と思われます。」
と案内板にありました。
境内と階段の参道の様子。
鬱蒼とした木々の林立した中、広い階段の参道が社殿前まで続いています。
ここの社叢は天然記念物の指定を受けていますが、深遠たる神域を彩るに
相応しい豊かな杜の中、こんなに広い階段の参道は見たことが有りませんでした。
苔の生えた石段を登るに連れ、神の社に詣でる凛とした気持ちと、
神を敬い崇める心が、自然と湧き出てきました。
境内と参道の様子・其の2
参道を行くと、3対目の小さな狛犬です。
建立年代は不明ですが、江戸末期から明治期にかけての建立の様に思われます。
小振りですが、中々精悍でインパクトのある顔つきで、長めの耳が目立ちます。
鬣の大きな渦や、尾の大きく巻いてから背中の中央に流している毛の流れも
流麗で造りの丁寧な良い狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
文久2年(1862)生まれ、拝殿の一番近くに居る狛犬です。
おとなしめで整った体躯をしており、尾は上に上がらずに片方にだけ流してあります。
鬣は短めで、脇毛もあり、流れる様なウエーブの滑らかさに、
思わず触りたくなる様な誘惑に駆られました。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文久2年(1862)10月吉日建立)
厳かな文政7(1824)年建築の拝殿
拝殿の挙鼻・牡丹の花を背景に籠に入った魚が彫られています。
非常に珍しい構図ですね、始めてみました。
拝殿の木鼻・紅白に塗られた狛犬と象
県文化財指定の二間社流れ造・本殿
寛政7年(1795)建築で、右に八幡宮、左に来宮が祭られています。
二間社造は非常に類例の少ない形態で、江戸後期を代表する神社建築として重要です。
(伊東市教育委員会案内板より)
左の写真は案内板より転載したもので、右側面の写真は
アクリル板の隙間よりかろうじて撮影したものです。
拝殿前の巨大なご神木・杉

境内社・水神社、火焚神社
境内社
境内社・左から
子安神社、蛭子大神、天満宮、
若宮八幡宮、大国主大神
境内社・左から
金比羅宮、稲荷神社、大山祇大神
神社前の、昔はこの社の別当寺だった大江院に咲く、
櫻、梅の木の競演と、ハッサクの蜜柑色の絶妙なハーモニー。
明るく晴れ晴れとした清々しい春を感じさせる景色でした。