諏訪神社

浜名郡新居町新居1379(平成20年12月27日)

東経137度33分39.78秒、北緯34度41分25.02秒に鎮座。

 この神社は新居中学校の南東約200mに鎮座しています。新居中学校へ向う道路沿いに参道入口の鳥居が立ち、鳥居の左脇に社号標、右側に町指定天然記念物・大ケヤキが聳えています。
 鳥居を潜り、数十mの参道を歩くと参道途中に石橋があり、その右側の石垣が奥まった中に清水を引いてきたような手水がありました。
 境内は玉垣で区切られ、石段を上がると入口には鳥居が建っています。木々に囲まれた境内は、綺麗に清掃された清らかな空間で、参道正面に社殿が建ち、境内左手には境内社が建ち並んでいます。
 拝殿後方に一段高く玉垣に囲まれて本殿鞘堂が見え、中門内に幣拝殿、本殿が建ち、井戸もありました。

 御祭神:建御名方命、八坂刀賣命
 合祀:天照大神、豐受大神、事代主神、大己貴神
 合祀:猿田彦神、少彦名神、武甕槌神、經津主神
 合祀:伊弉諾尊、伊弉冉尊、田心姫命、湍津姫命、市杵嶋姫命
 祭礼日:7月27日 神事手筒花火
 境内社:市杵島神社、三峯神社、社宮司神社、居森神社、津島神社、金山神社、稲荷神社、秋葉神社、東照宮、三柱神社、地鎮神社?万度水神社?八所神社(五男三女神)
 由緒:式内は景行天皇19年(約千九百年前)の創立と伝えられる古社である。当初は新居宿の総氏神、猪鼻湖神社として猿田彦大神を奉斎し、浜辺に鎮座していたが、数度の天災により宝永5年(1708)現在地に遷座となる。
 現神社名は井口嘉末なる者が信州より移り住み、天正年間(1590年頃)諏訪大明神の御分霊を合祀したことから、いつしか諏訪神社と称するようになった。
 明治6年3月村社に、明治16年6月12日郷社に、明治40年1月12日神饌幤帛供進神社に指定される。
 祭典の奉納花火は、明和より数十年前から伝わっているもので、遠州十大名物の第一位となっていて現在も中々盛大に行なわれる。

 この社は遠江国で2つだけの名神大社「式内社・角避彦神社」の論社です。「式内社・角避彦神社」は明治4年(1871)に「角避比古神社」として国幣中社に列せられましたが、論社のどれが「角避比古神社」であるかを特定することができず、結局「鎮座地不明」として社格が除かれました。『特選神名牒』には「角避比古神は津の幸彦の神にして、湖口の開塞を知りて民の幸福を知ります神と云義にて、実は水門の功徳を称へ奉れる御名ならん」と記されています。元は浜名湖口の現在の新居町側に鎮座していましたが、明応7年(1498)8月25日の大地震・大津波で流出してしまいました。
 旧浜名郡内にこの名前の神社は現存せず、下記3神社が論社とされています。
  細江神社(浜松市北区細江町気賀996、旧郷社、祭神 建速素盞嗚尊・奇稻田姫尊)
  湊神社(浜名郡新居町新居1788、祭神 須佐之男命)
  諏訪神社(浜名郡新居町新居1379、旧郷社、祭神 建御名方命・八坂刀賣命)

社号標 社頭

町指定天然記念物・大ケヤキ
諏訪神社のご神木で、樹齢・450年、根回り・7.5m、目通り・5.5m、樹高・16mあります。
参道の様子
参道途中の石橋 参道途中右側の手水
境内入口
拝殿前、昭和8年生まれの岡崎狛犬
(昭和8年(1933)7月建立)
拝殿 拝殿に架かる社額
拝殿屋根上の飛び狛さん。
良い面構えの狛犬ですが尾が取れているのが残念です。
拝殿木鼻・狛犬
動きのある造形で丁寧な造りをしていますが、入道頭で特異な顔つきの狛犬です。
中門、幣拝殿、本殿鞘堂
中門 幣拝殿脇の井戸
本殿
境内社:市杵島神社 境内社:左から三峯神社、社宮司神社、居森神社、津島神社、金山神社、稲荷神社、秋葉神社
境内社:東照宮
鞘堂と本殿
鞘堂内にこの狛犬が居たのですが、暗くて其の存在に気づかず、偶々写っていたのが右側の子だけでした。面白そうな狛犬なので残念でした。
境内社:万度水神社?
(大綿津見神・海幸彦神・天照大神)
神輿庫?
境内社:三柱神社
(豐聰耳神・手置帆負命・彦狹知命)
境内社:八所神社(五男三女神)
境内社:地鎮神社?