湊神社

浜名郡新居町新居1788(平成20年12月27日)

東経137度33分52.84秒、北緯34度41分18.69秒に鎮座。

 この神社は新居町駅の南西500mに鎮座しています。遠州灘から浜名湖に入る狭い入口の西側にあり、新居小学校の北の丘が境内となっています。玉垣が築かれた境内入口に明神鳥居と社号標が建ち、石段の参道途中にも二の鳥居。尚も石段を上ると渋い趣の良い感じの神門が建っています。額には素晴らしく達筆の文字が書かれているのですが、残念ながら素養のない私達には読みとることが出来ませんでした。神門をくぐると参道は若干右に曲がり、正面に拝殿、後方に鞘堂に覆われた本殿が建っています。蔵造りの神輿殿、きちんと社名の明記された末社などが祀られ、心配りの行き届いた感じの神社でした。

 御祭神:須佐之男命
 例祭日:10月15日
 境内社: 風神社・三峯社、稲荷社・猿田彦社、秋葉社、金比羅社、津島神社、神明社
 由緒:当神社の創立は不詳ですが西暦850年頃 官社に列せられる程の名神社でした。数回にわたる天災を受け、宝永5年(1708)現在の源太山に遷座されました。
 往古は、角避彦神社と称しましたが社地が湊にあることから 湊の開閉を守る神として、いつしか里人達は湊神社と称するようになりました。
 また、当神社の御祭神は疱瘡の守護神として、多くの信仰を集め遠近からの参詣人でにぎわいました。

 境内案内板の「西暦850年頃 官社に列せられる程の名神社」とは、遠江国で2つだけの名神大社「式内社・角避彦神社」の事です。明治4年(1871)に「角避比古神社」として国幣中社に列せられましたが、論社のどれが「角避比古神社」であるかを特定することができず、結局「鎮座地不明」として社格が除かれました。『特選神名牒』には「角避比古神は津の幸彦の神にして、湖口の開塞を知りて民の幸福を知ります神と云義にて、実は水門の功徳を称へ奉れる御名ならん」と記されています。元は浜名湖口の現在の新居町側に鎮座していましたが、明応7年(1498)8月25日の大地震・大津波で流出してしまいました。
 旧浜名郡内にこの名前の神社は現存せず、下記3神社が論社とされています。
  細江神社(浜松市北区細江町気賀996、旧郷社、祭神 建速素盞嗚尊・奇稻田姫尊)
  湊神社(浜名郡新居町新居1788、祭神 須佐之男命)
  諏訪神社(浜名郡新居町新居1379、旧郷社、祭神 建御名方命・八坂刀賣命)

社号標 神社入口
参道の石段と二の鳥居 参道の石段と神門
渋い感じの神門
境内の様子
拝殿前、昭和3年生まれの狛犬
(昭和3年(1928)9月建立)
拝殿
拝殿内の様子

本殿鞘堂
神輿殿 末社、左から
風神社・三峯社、稲荷社・猿田彦社、
秋葉社、金比羅社、津島神社、神明社
ご神木 社務所?