賀久留神社

浜松市西区神ヶ谷町4279(平成20年12月26日)

東経137度40分31.56秒、北緯34度43分6.03秒に鎮座。

この神社は、浜名湖と浜松市の真中辺り、畑と民家が点在する丘陵地の外れに洞雲寺、敬雲寺があり、その二つに挟まれて鎮座しております。

賀久留(かくる)神社
古くから雨ごいの神として知られ、雨ごいの竜の面の伝説が残るこの神社は、平安時代に創建された。境内は、昼でも薄暗いほどに古木が茂り、中でも神殿西側の道路ぞいの夫婦木楠は、樹齢800年ともいわれる大木で、県から御神木の指定を受けているし、神殿東側のモミの木は、市の保存樹に指定されている。神殿正面のこま犬は、このあたりでは珍しく獣の顔をしている。
また、10月には昔さながらの祭礼が行われている。
神久呂ふるさと創生事業推進委員会

御祭神 闇御津羽神
闇淤加美神
氣長帶比賣命
譽田別命
玉依比賣命
(神代の神、水を司り、農耕灌漑の神)
(神代の神、龍神で、雨乞いで名高い)
(仲哀天皇の皇后、応神天皇の母)
(応神天皇)
(神武天皇の母)

由緒沿革
当神社は延喜式神名帳(927)所載「遠江国敷知郡賀久留神社」である。祭神「闇御津羽神」「闇淤加美神」の二神は、五穀豊穣、水分、生寿、福賀、厄除の神である。のち「気長帯比賣神」「誉田別命」「玉依比売命」を合祭し武運長久、交通安全、護身の神である。清和天皇、貞観四戌辰年五月朔位階を授けられた。延元三戌寅年正月、宗良親王の御祈願応永二拾六己亥年将軍足利義尚公御造営。天文拾辛丑年三月国司今川義元公再建御神領壱千石寄進。慶長六辛丑年伊奈備前守忠次公御黒印拾五石御寄附。慶安元年、徳川家光公先規に依り御朱印拾五石御寄附。領主吉田城主、松平伊豆守信祝殿以来累代名祭祀料山林百六拾四丁八反歩御寄附。浜松藩主代々奉幣。
以上の様に武門、武将、領主の崇敬が深かった。
もと、八幡宮と称していたが改称の儀、明治拾六年一月許可され、昭和四年七月四日、県社に列格せられる。
昭和五年五月、昭和天皇行幸の御時に当社所有宝物の天覧の光栄を賜う。
境内由緒書より。

神社入り口

参道に立つ社号標

神門

神門の随身

神門を潜り、もう一段上がって境内となります。

境内入り口の岡崎型狛犬

(昭和3年(1928)11月建立)

拝殿

本殿

このあたりでは珍しく獣の顔をしている。と由緒書にある、神殿正面のこま犬。江戸中期狛犬の典型です。保存状態も極めて良好です。拡大写真はこちら。

(宝暦7年(1757)8月吉日建立)

武王神社・五本楠神社・天受賣神社

西宮神社

境内

夫婦木楠。樹齢800年、高さ三十五米。