五社・諏訪神社

浜松市中区利町302-5(平成19年11月24日)

東経137度43分44.21秒、北緯34度42分10.99秒に鎮座。

 この神社はJR浜松駅の西北西約1kmの市街中心地に鎮座する神社です。隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社とが、昭和35年に法人格を一つとして五社神社・諏訪神社と称したものです。合併の後に神社本庁の別表神社に加列されました。現社殿は昭和57年の再建です。両社ともに徳川秀忠の産土神とされたことから、子守り、子育ての神として地域の人々の崇敬を集めています。

 主祭神:(五社神社)太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神  相殿:応神天皇、舎人親王、菅原道真公、徳川家康公
       (諏訪神社)建御名方命、八坂刀売命、事代主命  相殿:徳川家康公
 例祭日:節分祭・2月節分の日、祈年祭・2月17日、例大祭・5月4日、
 境内社:五宝稲荷社
 由緒:(五社神社)…五柱の神を主祭神とし、ここから「五社神社」という社名になっています。
 元々は太玉命を祀る神社で下が、春日大社の祭神四柱を勧請して現在の五柱となったものと見られています。相殿に応神天皇、徳川家康公を祀るほか、菅原道真公、大鷦鷯尊、稲倉魂命、大日女命、素戔嗚命を合祀しています。
 戦国時代初期の曳馬城(後の浜松城)主・久野越中守が城内に創建したのに始まるといわれ、後に徳川家康公が浜松城主になり、天正7年(1579)に三男長松(後の徳川秀忠)が誕生するとこの社を産土神とし、現在地に社殿を建立して天正8年(1580)7月に遷座しました。寛永11年(1634)の家光公上洛の際、東照宮(徳川家康公)を勧請し、200石が加えられ、以降、300石の朱印地を領することとなりました。
 明治6年(1873年)に県社に列格しています。
 かつての社殿は寛永18年(1641)に家光公の命で再建されたもので、大正3年(1914)に国宝に指定されましたが、昭和20年(1945)に第二次世界大戦の戦災により惜しくも全焼しました。
  (諏訪神社)…延暦10年(791)に坂上田村麻呂が東征の折に敷智郡上中島村(現在の浜松市天神町)に奉斎したのに始まるとされています。幾度かの変遷を経て、弘治2年(1556)に神託により浜松に遷され、五社神社と同じく徳川家の崇敬を受けました。寛永11年(1634)の家光公上洛の際に、五社神社と同じく東照宮を勧請し、社領の加増を受け、以降300石の朱印地を領することとなりました。寛永18年、家光公の命により現在地の五社神社社殿の隣に社殿が造営され、遷座しました。この時の社殿は五社神社社殿と同時に国宝に指定され、昭和20年の戦災により全焼してしまいました。
 相殿に徳川家康公を祀っています。
 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

社号標
「五社神社 諏訪神社」
神社入口
光海霊神の碑
参道の様子 浜松城主・高力忠房寄進の水鉢
華麗な拝殿と回廊
平成元年生まれのブロンズ製招魂社狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(平成元年(1989)4月吉日建立)
拝殿 本殿
拝殿内の神殿狛犬
阿吽の建立年代が異なるのでしょうか?阿は金箔が綺麗に張れていますが、吽は漆塗りのように見えます。
境内社・五宝稲荷社
五宝稲荷社のブロンズ製お狐様