三方原神社

浜松市北区三方原町562(平成20年12月26日)

東経137度42分48.66秒、北緯34度46分17.16秒に鎮座。

この神社は、東名高速三方原PAの北西3km程の辺りに鎮座しております。武田信玄二万五千と徳川家康一万一千が戦った三方ヶ原の戦いはこの辺りで戦われたようです。みかたがはらの戦いと言われていたような気がしますが、神社前の幼稚園は「みかたはら」幼稚園、神社は「みかたばら」神社。

三方原神社
旧、浜松城内にまつられていた「東照宮」を、大正十一年六月二十五日、ゆかりの地、三方原村へ迎えて、村民の信仰の中心となる村社とした。
御祭神は、家康ですが、二代将軍、秀忠 三代将軍、家光のお二方も合祀されている。
昭和二十九年、三方原村が浜松市へ併合により村社は解消となり、昭和三十一年九月七日、この東照宮は三方原神社と改めた。
昭和四十八年、社殿老朽のため改築が行われた。そして社殿には三ツ葉葵紋付き茶釜と、勝海舟の「東照宮」の扁額などが納められている。祭典は毎年十月中旬に行はれ、神事、余興、投げ餅、屋台引き回しなどが催される。
三方原歴史文化保存会

神社入り口

参道

拝殿

嘗て浜松城内にあったと言う東照宮はどんな社殿だったのでしょうか。現在はコンクリート造りで想像すら出来ません。社殿老朽のため改築が行われた。・・・と由緒書にありますが、アメリカの空爆で計560機、3,076トンの爆弾を投下されたと言うことですから、その時灰になったのでしょうか。

拝殿内部。正面が勝海舟揮毫の扁額でしょうか。

本殿

この不動尊は、刻まれたお姿の脇に「右、はま松道」「左、いけ田道」と記されているので、道標であることは確かである。明治三年、士族が三方原に入植した時、野原の中でこの不動尊を発見し「野中の不動さま」と、呼んだ。その後、この不動尊は三方原小学校の北隣りへ移され、風雨にさらされていたが、地元民の信仰により、明治二十六年、村役場の南へ祠を建てて祀られた。戦後、この祠は三方原神社境内へ移され、昭和六十一年改築された。
三方原歴史文化保存会

左がお不動様のようです。

神楽殿と忠魂碑