渭伊神社

浜松市北区引佐町井伊谷1150 (平成21年10月31日)

東経137度40分0.3秒、北緯34度49分46.6秒に鎮座。

この神社は、建武中興十五社の一社で、浜名湖の北東、引佐町井伊谷(いなさちょういいのや)の山間に鎮座しております。天白磐座遺跡と云う古代の祭祀場を背に、神宮寺川を前にした、大変景色の良い神社で、神が宿るに相応しい雰囲気を持つ神社です。

御祭神:玉依姫命・品陀和気命・息長足姫命
例祭日:10月15日

渭伊神社
引佐町井伊谷字天白にあり境内二千五百三十五坪老杉古桧鬱蒼として繁茂し北西南の三方河水回りて(神宮寺川にして又宮川ともいう)其風致最も秀拔なり
由緒創立の年代由緒詳ならざれども三代実録に貞観八年十二月二十六日授遠江国正六位上蟾渭神
風土記に延喜式神名帳遠江国引佐郡渭伊神社とあり又江州彦根城主井伊家祖先備中守共保寛弘七年其神井より出生以来産土神として信仰厚し
渭伊神社は往昔今の龍潭寺境内にありしも南北兵乱の時今の地に移せりという往昔より渭伊二十七郷の大産土神なり
旧地頭近藤氏の崇敬厚し
境内由緒書より。由緒書と遺跡の説明原文はこちら。

神社入り口

境内

拝殿

本殿

末社。左より、英霊社・稲荷社・祖霊社。

若宮八幡社・水神社・御鍬社・菅原社

御神木

末社の脇に登り道があり「↑天白磐座遺跡」と書かれた案内板が立っています。

薬師山の途中より見る社殿

天白磐座遺跡

天白磐座遺跡
県指定史跡[平成四年三月十七日]
 『延喜式』にその名を載せる渭伊神社本殿の背後にある薬師山の頂上に位置し、約四〇メートル四方にわたって群在する巨石群を神の依代[磐座]として我国屈指の規模をもつ古代祭祀遺跡です。
 平成元年[一九九七]夏に実施された発掘調査により四世紀後葉[古墳時代前期]から平安時代に至る長期間、連綿と続いた祭祀場であったことが明らかとなりました。
 とくに高さ七メートルにおよぶ最大の磐座の西壁直下は、古墳時代の祭祀場として限定され、多量の手こね土器や鉄鉾や滑石製勾玉などの祭祀に用いられた遺物が出土しました。
 また、十二世紀末には末法思想による埋経のための経塚が巨岩群の中央に営まれ、渥美製の経筒外容器が和鏡と共に出土しています。
 この遺跡は渭伊神社の創祀が古墳時代前期までさかのぼることを語るとともに、古代人の精神や宗教観を解明するうえに重要な文化財です。

眼下に見る神宮寺川の流れ

薬師山と神宮寺川で小さな世界を造っているのでしょうか。

駐車場脇に立つ天白社。遺跡の名称となった社でしょうか。渭伊神社より古いのか。