浜名惣社神明宮

浜松市北区三ヶ日町三ヶ日大輪山122(平成20年12月27日)

東経137度33分16.84秒、北緯34度48分27.99秒に鎮座。

 この神社は301号線・三日池信号から南東に約100m程入ると左側に鎮座しています。
 境内入口には伊勢鳥居が建ち、参道脇には沢山の燈籠が建ち並び、その境内左側には大輪山中腹に水源があり、昭和の初めまで神田を潤したり、禊ぎに使用された神池が未だに水を湛えた池面を見せています。
 参道正面には大きく荘厳な拝殿が建ち、その遙か後方、拝殿の屋根の上に国重要文化財指定の本殿が趣有る姿を見せています。近くによると本殿は中門を潜り、石段の上の丘の上、靖国鳥居の後ろの板垣に囲まれて建立されていました。
 拝殿左右や境内には境内社や末社が祀られ、境内右には護国神社へ登る小径が付けられていました。
 境内や背後の山には巨木が茂り、清らかな神域の雰囲気が充ち満ちていました。

 御祭神:天照皇大御神、 境内社:太田命、天棚機姫命、菅原道真公、天羽槌雄命、菅原道真公、素戔嗚命、応神天皇、比売神、神功皇后、高寵神、菊理媛神、伊邪那岐神、伊邪那美神、大物主神、金山毘古命
 祭礼日:例祭日・8月第一日曜日
 境内社:太田命社、天棚機媛神社、天羽槌雄神社、須佐之男神社、天満宮、八幡宮、貴船神社、白山神社、八柱神社、金毘羅神社、金山神社
 由緒:創立年月日は詳らかではないが、口碑によると垂仁天皇の皇女倭媛命が天照皇大神の御神勅によって三種の神器を奉じて大和の国より伊賀・伊勢・美濃・尾張の地を経て御鎮座の地を定めよとの思召しによって太田命の御先導で御船にてこの地に行幸になられて四十余日御行宮の後、更に御神託によって勢州渡会の五十鈴川の辺に移御なされた。
 斯る畏い御由緒であり神倉造りとして他の神社と異り古式の神殿で歴代の将軍・国守の尊崇の念が厚く特に豊臣・徳川両氏の代々の将軍は掟を定めて朱符の田四十二石を寄進して崇敬の意を表している。
 本社は昔から神服部氏が伊勢大廟に奉献する御初生衣の御清祓所とした所である。
 明治5年8月2日郷社に列し、同40年2月11日神饌幣帛料供進社に指定された。
(境内案内より)

境内入口手前右側にある燈籠と鞘堂
境内入口 伊勢鳥居
参道・境内の様子
参道右側にある神池
社殿全景
拝殿
拝殿と本殿の間に建つ中門 本殿への石段
靖国鳥居と国重要文化財指定・本殿
伊勢神宮や熱田神宮の元来の社殿は俗に井籠造と云われる板倉造りであったものと思われるが、この社殿はその古式を今に伝えて貴重なものである。地上に組まれた土居の上に板を組み平入正面中央に脇柱を立てた戸口を構え腰長押、内長押を取付けて板戸を内開きにし妻梁上に束を立てて棟木を受け板壁上に桁を渡し、千木を延ばし勝男木をのせ、棟持柱がある。(社前案内より)

(神社パンフレットより)

拝殿左側、末社入り口と末社八社
(須佐之男神社、天満宮、八幡宮、貴船神社、白山神社、八柱神社、金毘羅神社、金山神社)
県有形文化財指定・天羽槌雄命社
御祭神:天羽槌雄命(例祭日:1月3日)
天照大神が天岩戸にこもられた時、楮の皮を繊維として布(木綿)を織って奉った神様です。昭和六十二年三月に本殿と同時に遷座祭が行われました。
 
拝殿右側、天棚機姫命社
御祭神:天棚機姫命(例祭日:1月3日)
天照大神が天岩戸にこもられた時神御衣(衣織物)を織って奉った神様で、機織の祖神として崇められています。岡本の初生衣神社より皇大神宮に貢献する神御衣の納置所として古例にならって現在も行われています。
  
境内右側、太田命社
御祭神:太田田根子命(例祭日:1月3日)
縣家(現在の縣榮一氏)の祖神といわれる太田田根子命(大国主命の五世の子孫)を祀っていて式内社である英多神社の御祭神です。
 
鎮守の杜と右側の小径が護国神社へ続いています。 境内入口のご神木