浅間神社

御殿場市新橋2081-2(平成19年11月11日)

 この神社はJR御殿場線・御殿場駅の西約250mに鎮座しています。市中心部にありながら、参道が約120mもある広い社地を有する神社です。その長い参道脇には沢山の石碑が建ち並び、左側には澄み切った神池が満々と水を湛え、神橋を渡ると境内となります。境内入口には大きな子狛を連れた江戸流れ狛犬がおり、小山に設えられた「木の花名水」と名づけられた湧水がお手水になっていました。大きく立派な拝殿内には大草鞋が一対奉納されており、写真を見てお分かりのように沢山の氏子さん達が七五三のご祈祷を受けに来られる地域住民からの篤い崇敬を受けている神社です。

 主祭神:木之花咲耶毘売命、合祀祭神:瓊瓊杵命、天照大御神、誉田別命、菅原大神
 例祭日:1月1日・元旦祭、1月15日・成人式、2月3日・節分祭、2月(旧暦1月15・16日)・獅子舞、4月5日・子安神社例祭、7月1日・富士山開山式・吉田神社例祭、8月25日・風神祭、8月31日・富士山閉山式、10月8日・例祭前夜祭、10月9日・例祭本日、11月中旬・新橋区戦没者慰霊祭、11月15日・七五三祈祷祭、12月23日・新穀感謝祭、12月31日・大祓式
 由緒:古記録が残されていないのですが、社伝によると、応保元年(1161)に熊野衆徒の鈴木氏によって造営されたとも、また建久4年(1193)に源頼朝が富士の巻狩りをしたとき創建されたものとも伝えられています。
 江戸時代の延保8年(1680)、新橋村の村鏡差出帳には、浅間・神明・八幡・天神・愛鷹大明神の五社浅間宮と書かれています。また江戸時代には、山祗宮(山神社)、山王大権現(大山咋神)、風神社、地租神社、大国主命社などを建立・再建し、天下泰平と氏子安全を祈願した記録が残っています。
 明治初期の廃仏毀釈の影響で、明治10年(1877)には、日吉神社・土徳元災神社・大山祗神社・埴安命社・風神社・大国主神社など各社が合祀されました。
 富士・浅間信仰とは、古代から続く富士山の活発な噴火に多大な被害を受けていた山麓に住む人々が、火を噴く富士山の不思議な力を畏敬し、山そのものを御神体とみなしお祀りしてきた信仰が、やがて火を制する神様として木之花咲耶毘売命を祀り富士山の鎮静を願うように変化してきたのではないでしょうか。
 その富士を慰め怒りを静めるべく一心不乱の祈りをささげると共に、「神楽舞」を奉納して、山霊を慰めお静まりを願ったのが、現代まで連綿と継がれたこの社の「神楽舞(獅子舞)」であり「稚児舞」だそうです。
 その信仰の核となる浅間神社は山梨県、静岡県に多く、本宮は富士宮の桜ヶ丘に鎮座する富士宮浅間神社で、富士山頂に建てられている神社を奥宮といいます。因みに、御殿場市内には、新橋の浅間神社・古沢の一幣司神社を初めとして、二枚橋・西田中・北久原・駒門・大坂・神山・板妻・保土沢・永塚・北畑・川柳・印野・六日市場など十五社の同名社があります。
(新橋浅間神社公式HP参照)

神社入口 社号標
参道の様子 参道脇の石碑群
神池 境内入口と二の鳥居
大正8年生まれの江戸流れ狛犬
ニ体とも吽で、大きな子狛をつれています。毛の流れがスムーズで子狛も丁寧に造られています。左の子の悪戯そうな顔つきや仕種、右の子の甘えん坊ぶりが、とてもリアルに表現されています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正8年(1919)8月吉日建立)
拝殿 拝殿内に奉納されている大草鞋
本殿 境内社
ご神水・木の花名水