若宮神社

熱海市網代535(平成18年11月12日)

 この神社は地図上では国道135号線の網代トンネル西にある朝日山公園近くに鎮座し、とても分かりやすいように見えましたが、とんでもない!!! 今回の旅で、行き着くのに一番苦労した神社となりました。
 初めは沢山の干物屋さんが並ぶ135号線から南東に向かってそれらしき道を行ったはずが、木の枝や雑草が生えっぱなしの酷い急坂をどんどん上がらせされ、挙げ句の果ては行き止まり…、途中で分かれ道があったのでそちらに向かうと漁港の方に降りてしまいそう…、仕方なく農作業をしていた方にお聞きすると、何と一旦漁港に降りて135号線の反対側に行かなければ朝日山公園に行き着かないそうで、またまた135号線に降りて再挑戦。でも古くからの漁港の道は分かりづらく、またまたウロウロしたあげくに、あちこちで聞きまくってやっと公園へ上がる道が確認できました。網代小の脇から山に向かい、測候所への標識から坂を上っていくと測候所や今は廃校となった網代中学校があるのでその前を通過。更に網代中学校を過ぎたら少し降るように左の道路を道なりに行くと、やっとの事で朝日山公園に到着しました。
 公園は風光明媚で眼下には網代漁港がよく見え、東には初島がすぐ傍に見えます。でも肝心の神社はないようです。と、がっかりして公園内を見渡すと、奥に小さな建物が見えます。もしかして…と傍によると、それが社殿でした。社殿のみ、他には何も見あたりません。自分たちが勝手に意地になって探し出した神社で、社殿の大きさや規模で神社を推し量ってはいけないと重々承知していますが、今までの苦労は何だったの…と思わせる神社でした。
 ウェブ上で調べるとここ若宮神社は、一時下の町中に鎮座する阿治古神社に合祀されていたようですが、公園が整備された時にでも元の地に戻られたのでしょうか。その縁で現在でも祭礼時には阿治古神社と合同で、「両宮丸」という船神輿が神社と海岸までの約1キロを総勢70名ほどの氏子さん達によって引かれているようです。御祭神は五十猛命です。
 また朝日山公園は戦国時代に後北条氏によって網代港を守備するために築城されたと思われる山城の城郭跡で、大きな岩がごろごろしていたのは、慶長9年(1604)に江戸城の改修工事に伴い、真鶴半島や伊豆東海岸から石材を切り出して、江戸まで船で運搬していた石材採取場だったためで、ここ朝日山公園一帯の山は、熊本藩(加藤忠広)や小倉藩(細川忠興)の担当区域だったそうです。

神社入口…
というか朝日山公園入口
神社遠景
社殿 公園の様子
松の木が林立しています
眼下に見える網代漁港 初島がすぐ傍に見えます