大内神社

八束郡東出雲町揖屋町(平成17年11月27日)

 この神社はJR山陰本線・揖屋駅の西300mの国道9号線に面して鎮座していますが、地図に記載がありません。
 地元の人たちの間では通称「権現さん」と呼ばれ親しまれていますが、今から460年近く前・天文12年5月7日、中国地方の一大勢力であった大内義隆は尼子氏攻めに失敗し、敗退を余儀なくされました。その退却の折、大内義隆の嗣子大内晴持は不運にも揖屋灘で溺れて死んでしまいました。大内晴持は京都の公郷一条大納言の次男で、3歳のとき大内義隆の養子となります。文武に優れた美青年でしたがわずか20年の生涯でした。当時揖屋は尼子の領地内であったにもかかわらず、網元八斗屋惣右衛門はこれを哀れんで秘かに葬り回向しましたが、当初は晴持の霊魂が通行する武士などを悩ませたので、惣右衛門は自分の地所であった現在の社地に社を建て、晴持を祭神として大内権現と名付けました。明治時代に大内神社に改められました。
 比較的小さな社地なのですが、今でもきちんと管理なさる方がいらっしゃるのか、境内は塵一つ落ちていない綺麗な神社でした。

神社入り口 境内の様子
建立年代は分かりませんが、顔はなく剥落が相当進んでいます。
拝殿 本殿
境内社 末社とご神木