揖夜神社

八束郡東出雲町揖屋町2229(平成17年11月27日)

 この神社はJR山陰本線・揖屋駅の北東約600mの旧国道9号線に面して鎮座しています。

 市の原川の東、宮山の鬱蒼とした杜の中に鎮座する社で、風土記に「伊布夜社」、日本書紀には「言屋(いふや)社」の名で登場し、もちろん延喜式に載る式内社です。風土記の時代には「揖屋」は「伊布夜」と書かれ、ここはその伊布夜の地にまつわる出雲国造直轄の神社で、造営修復は国守の直営となり、遷宮の際には、出雲国造が参向して式典を奉仕することを例としていたようです。御祭神は伊弉冉命、大己貴命、少彦名命、事代主命です。

 古事記には、死者の国との境である「黄泉比良坂」を 「イフヤ」と云う言葉でも表現しているそうで、境内でお会いした郷土史を研究しておられる方に、この神社の南東約900mにある平賀字神子谷の黄泉比良坂と伝承される地にも案内していただき、研究成果を披露していただいたのですが、まるで自分が神話の世界にタイムスリップした様な気持ちで聞き入ってしまいました。
 戦国の世には、尼子・大内・毛利氏などの武将も崇敬しており、それぞれ戦勝を祈願して寄進に励み、毛利元秋が社殿を建立したこともありました。江戸時代までは、揖屋大社、揖屋大明神と呼ばれていましたが、明治になって、揖夜神社と改称しました。本殿は大社造りで、五色の八雲、極彩色の神事の障壁画が扉に描かれているらしいのですが、あいにく私達が参拝した折りには、本殿の屋根の葺き替え工事中で、何も見られませんでした。出雲大社の縁起にもつながっていると言われる由緒深い社で、毎年8月28日に穂掛祭が行なわれます。

 またここで「大社造りの社殿の屋根に乗っている千木の先端が、垂直に切りおとされている社は男神を祀り、水平に切られている社は女神を祀っているのです。こういう細かなところから神社を見るのも楽しいですよ。」とも教えていただき、それ以来注意をしてみたのですが、日御碕神社以外は皆そのように造ってありました。「何事にも例外はあるのか?それとも日御碕神社にはそうしなければいけない特別な理由があるのか?」と夫と話しているのですが、今後の研究課題となりました。

神社入り口 境内から見た随神門
入り口の玄武か亀が支える灯籠。屋根が社殿のような造りでとても趣があります。
建立年代不明の出雲丹後狛犬。
後ろにいる出雲構え獅子と比べると、、こちらの方が傷みも激しく、
苔の付き方が多く、彫りも丁寧で、また顔つきの特徴などを考慮すると、
この子達も江戸時代なのかもしれません。
江戸時代も末の天保15年生まれの出雲構え獅子。
この時代のものとしては非常に良い保存状態です。
(天保15年(1844)9月吉日建立)
随神門内の木造狛犬。
阿吽ともに紅く彩色されているのは珍しく、眼は金色です。
八重垣神社の狛犬と同じ造りですが、こちらの方が女性的な丸みと柔らかさが感じられます。
首から肩に垂れた鬣が襟のように見え、面白く感じました。
開放的で大きな拝殿 拝見できなくて残念な本殿
本殿左
韓國伊太氏神社
(素盞嗚命,五十猛命)
この趣のある透かし塀を
迂回して本殿と左右の
境内社に参拝します。
本殿右
三穂津姫神社
(三穂津姫)
   
境内の樹木三種。それぞれ個性が光る素敵な木々です。
   
これまた個性的な灯籠です。
入り口の屋根が社殿のような造りで亀が支える灯籠共々、
この神社には様々な灯籠が奉納された模様です。
荒神さんの藁蛇と御幣。
ここ出雲では、荒神さんは藁蛇(龍蛇とも呼ばれる)で表現される様です。
荒神さんを護る尻尾の取れた出雲構え獅子。
剥落も進み、遠からず崩壊しそうです。



黄泉比良坂

    「神蹟黄泉比良坂伊賦夜伝説地」
黄泉(よみ)の国(あの世)と現世の境界とされ、古代出雲神話の中で、
イザナギ(伊邪那岐)命が先立たれた最愛の妻イザナミ(伊邪那美)命を
慕って黄泉の国を訪ねて行かれるその入口が、
黄泉比良坂(よもつひらさか)であると伝えられています。
古事記ではこの地を出雲国の伊賦夜坂(いぶやざか)であるとしています。