須我神社

雲南市大東町須賀260(平成17年11月26日)

 この神社は松江市街地から24号線を南下し、267号線との交差地点から左にはいると、突き当たりに鎮座しています。道路上の大鳥居はこの先400m程に建っていました。
 古事記(和銅五年・712年)所載では、簸の川上において八岐大蛇を退治した須佐之男命は、奇稲田比売命と共に八雲山の麓のこの地に至り、「吾此地に来まして、我が心須賀須賀し」と言われ、そこに宮造りをして鎮まられました。また、その宮居を包んで美しい雲の立ち昇るのを見て、「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる この八重垣を」と詠われました。それが須賀の地名の元ともなり、この「八雲立つ…」の歌が日本で最も古い歌であることから、「日本初宮(にほんはつのみや)」、「和歌発祥の地」といわれる由縁となったのです。また、この歌に詠われたことから、出雲が出雲国の起元となったそうです。この宮居で、清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)がお生まれになり、それから八束水臣津野命(国引の神)につながり、さらに大国主命(出雲大社)へとつながっていきます。
 御祭神は須佐之男命、奇稲田比売命、清之湯山主名狭漏彦八島野命で、出雲風土記(天平五年・733年)ではここを須我神社、須賀山、須我小川などの名前で表現され、この地方の総氏神として広く信仰されていたようです。また八雲山の中腹には巨岩夫婦岩や小祠があり、須我神社奥之宮の磐座として祭祀信仰されています。その後天文年中(1532〜1554)に地頭職の神(みわ)中沢豊前守が諏訪の武御名方命を勧請してこの須我神社に合祀し、諏訪大明神とし、村名も諏訪村と改められましたが、明治22年、元の地名の須賀に復し現在に至っています。
 それほど広くない神社ですが合祀社が多く、「日本初宮」というので古式ゆかしい古びた社殿が建っているものとばかり思っていたのが、新しく綺麗な社殿で思惑がはずれたというか意外性があったというか、何ともいえず複雑な気持ちになりました。

境内より400m先の大鳥居 神社入り口
社号標 日本初之宮碑
神門前・文化13年生まれの出雲丹後狛犬
(文化13年(1816)3月建立)
神門内の彩色が綺麗な木造狛犬。阿は角を、吽は宝珠を付けています。
神楽殿 須佐之男命が詠った日本初の和歌
「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 
八重垣つくる この八重垣を」の碑
拝殿 拝殿内の様子
本殿
拝殿前の出雲構え獅子
(明治24年10月吉日建立)
平成15年6月吉日生まれの出雲構え獅子
(平成4年1月吉日建立)
境内社・海潮神社社殿
海潮神社の出雲構え獅子
境内社・弁護荒神社
弁護荒神社のご老体出雲構え獅子
御仮殿
御仮殿の出雲丹後狛犬
境内社・若宮神社
若宮神社の合祀社
平成15年6月吉日建立の若宮神社神狐、
この辺りでは新しいものでもそんなにきつい顔ではありません。
片方だけが首輪をしている先代の神狐。
摩耗が激しく顔付きは殆ど分かりません。
若宮神社社殿下の先代さんの住処。
全員集合して何を話し合っているのでしょう?
境内社・御祖神社、社日神社、義綱神社入り口
境内社・御祖神社、社日神社、義綱神社の出雲丹後狛犬 かわいらしい須佐之男命の絵馬

神社由緒
古事記(和銅五年、西暦七一二年)所載=肥河上(ひのかわかみ)で八俣遠呂智(やまたのおろち)を退治せられた速須佐之男命は宮造るべき所を求めて此処出雲国須賀の地においでになり「吾此地に来まして我が心須賀須賀し」と仰せになって此地に宮殿を御造りになりましたが其地より美しい雲が立ち騰がるのをごらんになり ”八雲立つ出雲八重垣つまごみに八重垣つくるその八重垣を”の御歌を御詠みになりました。即ち此宮が古事記・日本書紀等に顕はれる日本初之宮であり此処が三十一文字和歌の発祥地でこの御歌の出雲が出雲の国名の起元であります。
而うして須佐之男命と奇稲田比売命・御子神清之湯山主三名狭漏彦八島野命の三神が当社主祭神であります。
出雲風土記(天平五年・西暦七三三年)では此処を須我神社・須我山・須我小川等の名に表現され風土記抄(天和三年・西暦一六八三年)には須我村とあり須我は広く此の地方の総称であったことがうかがえます。
須我小川の流域に曽つて十二の村があってこの須我神社はこの地方の総氏神として信仰されていたものでありまた須我山(御堂山八雲山)の山ふところには巨岩の夫婦岩(磐座)並びに小祠があり須我神社奥宮として祭祀信仰されています。
合殿の武御名方命は天文年中統治(淀之荘)地頭として神中沢豊前守が信州より来任せられたときその氏神武御名方命の神霊を勧請してこの須我神社に合祀し諏訪大明神として崇敬せられました以来村名も諏訪村と改められていましたが明治二十二年元の地名の須賀に復し現在に至っています。明治二十五年十一月八日元の島根県社に列せられました。
なお須我山の主峰八雲山は眼下に中海や宍道湖を見おろし島根半島から弓ヶ浜東方遙かには出雲富士(伯耆大山)を望む景勝地で毎年秋頂上では盛大な歌祭りがあり四季にわたって各地からの来遊が多い。