神原(かんばら)神社

雲南市加茂町神原1436(平成24年9月1日)

東経132度53分54.02秒、北緯35度20分35.87秒に鎮座。

 この神社は木次線・加茂中駅の西約1.4km、赤川の南に鎮座しています。
 参道入口に一の鳥居が建立され、参道脇には脇に社号標。手水舎が配された境内入口には二の鳥居が建立され、出雲構え獅子を脇に見ながら進むと随神門が建立されています。嬉しいことに随神門内には彩色が綺麗に施された剽軽な木製狛犬が…。
 境内に入ると灯籠の立ち並ぶ参道正面に大きな入母屋造りの拝殿、奥に大社造の本殿が建立され、社殿左に御仮殿、右に境内社:天満宮・武内神社、玉垣の奥に八幡宮等の境内社が祀られています。
 又、社地東には「神原神社古墳」があり、古代史好きの私には堪えられない神社でした。

御祭神:大国主神、磐筒男命、磐筒女命
祭礼日:11月9日
境内社:天満宮・武内神社、八幡宮、稲荷社、日御崎社
由緒:別名・神宝大明神。『出雲国風土記』大原郡条の神原郷の項に「所造天下大神之御財 積置給處也」とある。当初は大国主神のみを祀ったものと見られるが、宝永5年(1708年)に三刀屋天満宮宮司の広沢漆拾がまとめた『神原神社縁起』では祭神が磐筒男命・磐筒女命とされている。
 『出雲国風土記』には「神原社」と記され、神祇官に所属しているとある。延喜式神名帳に「神原神社」と記されている。
 慶長16年(1611年)の棟札には「神原松井大明神」、前述の『神原神社縁起』では「神原神社松井大明神」「松井神寶大神宮」、享保2年(1717年)に出された『雲陽誌』には「神寶明神」と記されている。
 明治4年12月に村社に列せられた。
 旧社地は島根県では最古に属する前期古墳の上にあった。現在の社殿は後述の赤川の改修工事に伴い昭和47年(1972年)に遷移されたものである。
 1月9日に行われる例祭には県指定無形民俗文化財の獅子舞が奉納される。神在祭の期間には神事が行われる。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

神社入口
入口に立つ一の明神鳥居
社号標
「式内 神原神社」
社号標
「出雲国風土記登場地 神原社」
境内入口
手水舎
二の明神鳥居
随神門前にいる出雲構え獅子
狛犬の拡大写真はこちらで
随神門
随神門内に居るカラフルな木造狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
境内の様子
入母屋造りの大きな拝殿
拝殿内の様子
大社造の本殿
御仮殿

境内社:天満宮・武内神社
境内社:八幡宮 境内社:稲荷社
石祠 境内社:日御崎社

神原神社古墳
昭和47年、赤川の堤防修繕のために神原神社を調査した際に発見された、竪穴式石室をもつ4世紀中頃の1辺約30mの方墳、前期古墳。
竪穴式石室は、主幅を南北におき、墳丘中央の盛土中の墓壙内にあり、石室の四壁は扁平な板状石を持ち送り式に小口積し、四隅は三角持ち送り式で積みあげている。
石室内から景初3年銘の三角縁神獣鏡1面、鉄製品(素環頭太刀1、木装太刀1、剣1、槍1、鉄鏃36、鍬1、鎌1、斧1、など)が出土した。
また、墓壙内の埋納壙に赤色顔料の付着した壺(広口壺2、中形壺2、小形壺1)が置かれていた。
これらの土器は古墳時代初期の土師器と考えられている。
この古墳から出土した「三角縁神獣鏡」は、全国で2枚目の「景初三年」と記載のある貴重な鏡であり、国の重要文化財に指定されている。
「景初三年(西暦239年)」には、邪馬台国の女王・卑弥呼が、魏の明帝に使者を派遣し、 明帝から銅鏡100枚を賜ったと「魏志倭人伝」に記載があることから、その中の1枚ではないかとする説もある。
近くに大量の銅鐸が出土した『加茂岩倉遺跡』が確認されている。
(「雲南市観光協会うんなん旅ネット」より)