加茂神社

雲南市加茂町加茂中996(平成24年9月1日)

東経132度54分37.87秒、北緯35度20分40.17秒に鎮座。

 この神社は加茂小学校のすぐ西側に鎮座しています。
 遠くからでもかなり立派な森が見え、近づくと、参道の入口に立派な鳥居が建立され、奥に石段が続いています。石段途中の踊り場には二の鳥居が建立され、狛犬が待ってくれています。更に石段を上がると彩色の綺麗な木造狛犬が入っている随神門。
 境内右手には凱旋紀念燈や境内社が二社配され、右手には神楽殿兼社務所、中央に「風土記 屋代神社」の変額が掛かる拝殿、弊殿、本殿が建立されています。その奥には稲荷神社、社日神社、星宮神社等の境内社が整然と祀られており、この日は速玉神社の「八朔祭」が厳かに執り行われていました。
 又、脇参道にも狛犬が居て、石造狛犬が四対・木造狛犬が一対と、合計五対もの狛犬が見られる、狛犬ファンとしてはとても嬉しい神社でした。

御祭神:八重事代主命
祭礼日:不明
境内社:上賀茂神社、幸神社、稲荷神社、社日神社、星宮神社、三方荒神、牛荒神、幸石社、畠塚社、稲背神社、金刀比羅神社、天満宮、速玉神社、雲並神社
由緒:当社の勧請年代は不詳である。平安時代の「延喜式」に、大和国の鴨事代主命とご同神なりと記載され、今日まで伝えられている。
 出雲風土記(天平5年 733)によれば、式内社・式外社の別があり、当社は国社(式内社)として屋代社と記載されている。
 社殿前に屋代社との扁額が今も掲げられ、古くから屋代社の称で崇敬されていた。
 中世に至り加茂中、南加茂、砂子原、延野の一帯が、京都賀茂神社の社領となり「福田庄」と呼ばれていた。元久2年(1205)に御本社(京都 賀茂神社)から御分霊を勧請されたと伝えられており、又、この時代に地名も賀茂村と称し、御社名も賀茂大明神と申してきたが、近世に神社名を加茂神社と称することになり現在に至っている。
 尚、現在の御社殿(本殿)は、京都 賀茂神社御修復の際(寛保年間)、当地の豪族(木村弥三右衛門)が、加茂神社御社殿建て替の為、京都において宮大工に命じ、京都 賀茂神社本殿の原寸どおりに建築の材を作らせ、組み立てるばかりにして持ち帰り、当地に建築した物と言われている。
 又、拝殿は京都 賀茂神社の拝殿をゆずり受けて移築したと言い伝えられている。


神社遠景
神社入口
入口に立つ一の明神鳥居
石段の参道
石段踊り場にいる出雲狛犬
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石段踊り場に立つ二の明神鳥居
随神門
随神門内に居る彩色の綺麗な木造狛犬
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凱旋紀念燈
太い注連縄が掛かる入母屋造りの拝殿
拝殿に掛かる扁額「風土記 屋代神社」
拝殿内の様子
大きな流造の本殿
神楽殿兼社務所

境内右側に祀られる上賀茂神社・幸神社全景
上賀茂神社を護る出雲構え獅子
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境内社:上賀茂神社 境内社:幸神社
境内最奥に祀られる境内社
境内社:稲荷神社 境内社:社日神社
稲荷神社の神使い・お狐様
境内社:星宮神社 境内社:稲背神社
境内社:金刀比羅神社 境内社:天満宮
天満宮を護る出雲構え獅子
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境内社:速玉神社
この日(9月1日)は午後三時より「八朔祭」が執り行われていました。
境内社:畠塚社、幸石社、牛荒神、三方荒神

脇参道から入ると、境内入口にいる出雲構え獅子
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