飯石(いいし)神社

雲南市三刀屋町多久和1065(平成24年9月1日)

東経132度52分26.08秒、北緯35度14分57.12秒に鎮座。

 この神社は松江自動車道・三刀屋木次ICの南南西約5km、飯石小学校の南約300m、176号線とは飯石川を挟んで対岸に鎮座しています。
 この日は道路工事中で、工事の方から「176号線上に車を置いて徒歩で参拝するように…。」と指示があり、176号線から川沿いの道路を歩き、杉林に向かって歩きました。元来は右側の川沿いに参道が造られている様ですが、現在は正面の幅広の石段からの参拝が主流のようです。境内三分の一辺りに鳥居が建立され、左側には社務所などの建物が配されています。境内三分の二辺り右側に川沿いの参道からの入口があり、水鉢が置かれています。社殿は右から拝殿・通殿・幣殿と続き、その後ろの二重の玉垣内に御神体の磐石が置かれています。
 その他、境内社の託和神社も『出雲風土記所載』の古社です。
 清流に沿った参道、杉木立、水鉢、妻入りの簡潔な社殿、御祭神が天降られた磐石等、余り飾り気の無い神社ですが、独特の神々しい雰囲気が感じられる、素敵な神社でした。

御祭神:伊毘志都幣命
祭礼日:11月4日(出雲大社宮司御参向)
境内社:託和神社
由緒:命の天降られた磐石を御神体とし、二重の玉垣で囲み本殿 にかえている。
 出雲国造が御幣を奉られる幣殿に、通殿、拝殿を配し直接 御神体を正面から拝むことができる。磐境、磐座という古代の聖地祀形態を今に伝えている。またこの地を命の降臨の聖地として注連縄を用いず、境内には他の神社に見られる摂社、末社は勿論、隋神門、燈籠、狛犬もなく、純粋に古代の伝統をそのままに継承しているのも特殊である。又 境内の辺より祭祀遺跡が発見され学会の注目を集めている。 出雲風土記によれば飯石郡、飯石郷の地名起源を、この地に「伊毘志都幣命が坐すためである。」と記している。
 これは命が本郡開拓の産土大神であるからに外ならない。
 命の亦の御名を天夷鳥命と申し、天照大御神の第二の御子、 天穂日命の御子であり出雲国造家の御祖神にあたり、例祭は千家出雲国造御参向の上執り行われる。亦大国主命の国土奉還に際しては熊野諸手船にて美保之関へ事代主命を尋ね、その大業を成就された。美保神社で行われる諸手船神事は、この故事によるものである。尚当社は古来飯石郡中の総氏神として郡中より幣帛を奉り、歴代の藩主、歴代知事の参拝相継ぎ、島根県神社庁より特別神社としての指定を受けている。

176号線から見る神社遠景
社頭
神社入口
神社全景
明神鳥居
境内の様子
水鉢
妻入りの拝殿
通殿と幣殿
二重の玉垣と御神体の磐石

境内社:託和神社
古来、中野、六重、神代、深野、上山、曽木、川手、七ヶ村 の総氏神であった。
明治44年旧社地より、この地に遷し、八幡宮も合祀された。旧社地の付近より西日本最古の縄文土器が発見されたのは周知の通りである。
社務所など

飯石川沿いの参道
参道からの境内入口