斐伊神社

雲南市木次町里方字宮崎463 (平成24年9月1日)

東経132度54分21.27秒、北緯35度18分06.39秒に鎮座。

 この神社はJR木次線・木次駅の北約1.2km、線路脇に神社の入口があります。入口は中央に一の鳥居、左に手水舎、右に社号標が建立されており、その一の鳥居をくぐり狛犬を横目で見ながら石段を上ると、石段途中に二の鳥居が建立されています。そこから北向き(左)に変わる石段の上が境内。境内入口にも出雲構え獅子がおり、境内左手には社務所が配されています。境内は全てコンクリートで締め固められ中央に参道が通っています。中央奥に入母屋造りの拝殿、拝殿後ろに本殿が建立され、その左右に境内社が祀られています。
 又、境内右の坂道を上がっていくと、石段の上に境内があり火守神社や石祠、社日等が祀られていました。
 神社はとても綺麗に維持されており、短時間の参拝ですが、氏子さん達の崇敬心が伝わって来ました。

主祭神:須佐之男尊、稲田比売命、伊都之尾羽張命、合殿:樋速夜比古命(樋速夜比古神社)、御祭神:誉田別尊・息長足姫命・足仲彦尊(日宮八幡宮)、宇迦御魂神・外三柱(稲荷神社)、迦具土命(火守神社)
祭礼日:例祭10月21日、祈年祭3月20日、新嘗祭11月30日、8月24日(火守神社)、9月15日(日宮八幡宮例祭)、11月1日(稲荷神社例祭)
境内社
由緒:本社の創立は甚だ古く孝昭天皇5年にご分霊を元官幣大社氷川神社に移したと古史伝に記載してゐる。
 出雲風土記の「樋社」で延喜式に「斐伊神社同社坐樋速夜比古神社」とある。天平時代に二社あったのを一社に併合したのであろう。他の一社は今の八本杉にあったと考へら れる。「樋社」を斐伊神社と改稱したのはこの郷の名が「樋」といったのを神亀三年民部省の口宣により「斐伊」と改めたことによる。延喜の制国幣小社に列せられ清和天皇貞観13年11月10日神位従五位上を授けられた。 本社は中世より宮崎大明神と稱えられ地方九ヶ村の崇敬厚く明治初年までその総氏神としてあがめら れた。明治4年5月郷社に列せられた。
 明治16年馬場替をし、仝40年5月日宮八幡宮稲荷神社を本社境内に移転し、境内末社とした。
 昭和56年9月1日島根県神社庁特別神社に指定された。
 昭和63年8月25日社務所を改築した。
(境内掲示「斐伊神社概記」より)

 『出雲国風土記』には2つの樋社が記されているが、その1つが斐伊神社に比定される。もう1社の樋社(同社坐樋速夜比古神社)は八本杉のあたりにあったと考えられているが平安時代中頃には斐伊神社に合殿されていたと考えられている。主祭神は素戔鳴尊、稲田姫命、伊都之尾張命で、合殿された斐伊波夜比古神社の祭神は樋速比古命のほか二神となっている。斐伊神社は江戸時代には所在地の小字をとって「宮崎(埼)大明神」とよばれていた。
(「境内掲示板」より)



社頭
神社入口
手水舎
社号標
一の明神鳥居
石段参道脇にいる出雲狛犬
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石段参道
石段参道途中の踊り場に立つ二の明神鳥居
二の鳥居を潜ると境内に向かう石段参道
境内入口
境内入口にいる出雲構え獅子
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境内の様子
入母屋造りの拝殿
拝殿に掛かる額 拝殿内の様子
弊殿と大社造変態の本殿

境内社:廿原神社・稲荷神社
境内社:日宮八幡宮
境内社:稲荷神社
境内右手に階段が有り社殿が見えます。
火守神社境内の様子
境内社:火守神社
火守神社を護る出雲構え獅子
石祠 社日