大田市大森町ホ211 (令和6年6月20日)
東経132度26分27.09秒、北緯35度06分21.87秒に鎮座。
この神社は、石見銀山遺跡の北西500m程の辺り、大森町の街外れに鎮座しております。
御祭神 正一位毛利元就公
由緒
毛利元就が祭神の、毛利家ゆかりの社である。元就は生前、自分の木像を造り山吹城に安置させたが、元就の孫の毛利輝元が同春山長安寺を建立し、木像を移した。
関ヶ原の役後、石見銀山を徳川氏が支配する中で長安寺が荒廃したため、元禄4年(1691)、毛利家は木造を萩の本藩へ引き上げた。大森住民から木造在置の希望があり、毛利家は代わりに新しい木像を造らせ安置した。
時代が下り慶應2年(1866)、大森へ入った長州軍は、藩祖の木造があるのを知り、浄財を募って本殿を始めとした境内地を整備した。中隊司令祖式信頼ら172名の隊士名が境内の献納物に刻まれている。
その後明治3年、明治天皇の宣下により長安寺は豊栄神社とされた。
境内由緒書き より。
神社入口
隋身門
随身様
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
本殿
御神木