焼火神社

隠岐郡西ノ島町美田 (令和5年10月15日)

標高451.7mの隠岐島前の最高峰、島前カルデラの中央火砕丘と呼ばれる火山地形である焼火山。その中腹にあり、島前3島の間を航行する船からよく見えることから、昔は境内で灯される明かりが灯台の役割を果たしていました。北前船の寄港が盛んだった江戸時代には航海安全の神様として広く知られ、歌川広重の「六十余州名所図会」や葛飾北斎の「北斎漫画・七篇」に隠岐焚火社として描かれています。

「焼火山縁起」では一条天皇の時代(1000年頃)の創建と伝えられていますが、承和5年(838年)より前ともされています。もとは焼火山雲上寺(たくひやまうんじょうじ)として焼火権現が祀られていましたが、明治以降は焼火神社と改称されました。現存する社殿は享保17年(1732年)火砕岩の岩壁にできた洞窟に築かれたもので、平成4年(1992年)国の重要文化財に指定されています。

伝説では、後鳥羽上皇が隠岐に流される途中夜になり海が荒れ、上皇が歌をよまれたところ、焼火権現が神火を放って船を助けたという言い伝えがあります。また、知夫里島と西ノ島の間の海上から浮かび上がった3つの火の玉が菩薩の形をした岩に入り、そこに社殿を設け崇めるようになったのが焼火神社の起源とされています。
しまねまちなび より。

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案内図。現在地が参道入口。(1)が鳥居1。(2)が鳥居2の場所です。

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