比奈麻治比売命(ひなまじひめみこと)神社

隠岐郡西ノ島町宇賀1685 (令和5年10月15日)

東経133度04分29.13秒、北緯36度06分54.47秒に鎮座。

この神社は、別府港フェリーターミナルの東北東3km程の辺り、宇賀の街外れに鎮座しております。

御祭神 比奈麻治比売命

由緒
創立年は不明である。西ノ島町の北東端の『済』という地に鎮座していたことから「済の宮」とか「済大明神」とも呼ばれていた。安政2年(1855)に、一度この尾和の地に移されたが御神託により25年後の明治13年(1880)に元の済に戻され、昭和3年(1928)に再びこの地に移された。現在、済の宮跡では玉垣に囲まれた本殿跡の下に磐座が見える。神名帳考証には『火焼権現トモイフ』とある。
『比奈麻治比売命神社がはじめて六国史に見えるのは、延暦(799)である。遣渤海使内蔵宿祢賀茂麻呂が任を終え帰国せんとして、海中夜暗く、その進路に迷った時、遠有ニ火光一りて無事島浜に至ったという霊験高い神であり、その上奏によって幣例に預かることを許された。』黒木村史
隠岐国初の官社になり、その後も次のような階位を授かっている。
承和5年(838) 隠岐国無位比奈麻治比売神に従五位下(続日本後記)
貞観13年(871) 隠岐国正五位下比奈麻治比売神を正五位下(三代)
元慶2年(878) 隠岐国正五位下比奈麻治比売神を正五位上(三代)
式内社に比定された由緒の古い神社で、隠岐国内神名帳には従一位とある。また、慶長18年(1613)の検地帳の御供田の記録や、元禄12年佐渡守の銘のある御幣串が残されていること、出雲大社の19社、櫛田神社の22社名記から、近世に於ても内外に広く信仰の対象になっていたと推察される。
境内由緒書き より。

参道入口

鳥居

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

参道

拝殿

拝殿内部

本殿


末社

白龍王社