天健金草(あまたけかなかや)神社

隠岐郡隠岐の島町都万4243 (令和5年10月12日)

東経133度14分01.33秒、北緯36度12分09.03秒に鎮座。

この神社は、西郷港の西8km程の辺り、都万の街外れに鎮座しております。

御祭神 抓津媛命・大屋津媛命

由緒
天健金草神社は、元治5年(927)成立の延喜式神名帳に記載されている古い神社です。強い神威を持つとされる神社で、神功皇后が三韓出兵時、暴風を避けた際に参拝して伝説があるほか、新羅船を大風で退かせたという託宣(平安時代の歴史書『扶桑略記』に記載)により朝廷から数度にわたって神階が上げられました。また、元弘の乱で隠岐へ配流となっていた御醍醐天皇は、この神社に脱出祈願を行い、それがかなった後に正一位を贈っています。
本殿は元治元年(1863)の建築で、形式は流造です。平面プランは、玉若酢命神社や水若酢神社とほぼ同じで、屋根の形式の相違はありますが、隠岐造三間社の成立と関係があると考えられています。主祭神である抓津媛命、大屋津媛命の神名は「都万」や「大屋」など地名となっていて、古くは都万、那久、油井、津戸、蛸木の5か村で造営する大きな神社でした。毎年の例祭は、以前は大規模なもので、玉若酢命神社御霊会風流のように神馬八頭を神社境内へ馳せ入れたり、流鏑馬なども行われていたようです。

天健金草神社由緒略記
一.社格、社號、鎮座地
村社 天健金草神社 穏地郡都万村大字都万霊亀山鎮座
二.祭神
大屋津媛命・抓津媛命・應神天皇・息長帯姫命・玉依姫命・塩土老翁・建御名方命
三.由緒沿革
當社ハ延喜式神名帳に隠岐國穏地郡三座を列記せられたる中の天健金草神社として人皇46代孝謙天皇天平勝寶7年八幡原に神社を建立す。今より一千貮百有余年是則ち本社の創立なり。祭神大屋津媛、抓津媛2神ハ素盞鳴尊乃御女にして御兄五十猛命と共に八十木種を植ゐしめて此國土を開拓し給ひて終ゐ。大屋津媛命は大屋仙洞に座し抓津媛命は狭山涌泉に座すと依りて地號を都萬院と稱す、且狭山涌泉わ神仙院霊沰と號し毎年幣帛を奉る。流水漲漾りて大屋の仙洞に通ふと神代より今日に逮んで未だ不乾國土旱すれば必ず神仙院に祈る有霊験土俗呼んで幣の御池と云ふ。
境内由緒書き より。

参道入口

一の鳥居と社号標

二の鳥居

神門

境内入口

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

境内入口一体だけの狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

拝殿

拝殿内部

本殿


末社