八重垣神社

松江市佐草町227(平成17年11月26日)

 この神社は松江市街地から八重垣神社線・246号線で南下すると、佐草町に入って350m位で、右手に鎮座しています。

 境内由来記が退色して読みづらいので書き出すと、「早く出雲の八重垣様に縁の結びが願いたい という歌は出雲において最も古い民謡で御祭神も八岐大蛇を退治し、高天原第一の英雄素盞鳴尊と国の乙女の花とうたわれた稲田姫の御夫婦がおまつりしてあります。素盞鳴尊が八岐大蛇を御退治になる際斐の川上から七里を離れた佐草女の森(奥の院)が安全な場所であるとしてえらび大杉を中心に八重垣を造って姫をお隠しなさいました そして大蛇を退治して、「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」という喜びの歌をうたい両親の許しを得て「いざさらばいざさらば連れて帰らむ佐草の郷に」という出雲神楽歌にもある通りこの佐草の地に宮造りして御夫婦の宮居とされ縁結びの道をひらき掠奪結婚から正式結婚の範を示し出雲の縁結びの大神として、又家庭和合の、子孫繁栄、安産、災難除、和歌の祖神として古来朝廷国司藩主の崇敬が厚く御神徳高い神国出雲の古社であり名社であります。」とあります。

 創建時期は不詳ですが出雲地域では杵築大社・熊野大社に次ぐ神格・崇敬を誇る、記紀にも記載された古社です。素戔嗚尊が八俣遠呂智を退治したのちに、「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる この八重垣を」と歌い、稲田姫との住居を構えたのにちなみ「八重垣の宮」と称されました。その後大原郡須賀の地より素戔嗚尊の御子、青幡佐久佐日古命が鎮座する佐久佐神社境内へ遷座したといわれています。そのため延喜式では佐久佐神社の名前で国幣小社と記されています。明治になり佐久佐神社は八重垣神社を合祀して八重垣神社と改称しました。

 社殿背後の佐久佐女の森には鏡の池、夫婦杉があり、奥の院が鎮座しています。稲田姫が八俣大蛇退治の際、身を隠した場所との故事により、5月3日に身隠神事、12月15日に御還幸祭を行っています。鏡の池は、コインを紙に載せて浮かべ、その沈む速さによって縁談を占う占いの池として有名で、この日も引きも切らず、願いを託した硬貨をのせた半紙を池に浮かべ、縁を占う恋人達やお嬢さん達でいっぱいでした。

重要文化財指定
神社壁画では日本最古といわれる・稲田姫命
重要文化財指定
神社壁画では日本最古といわれる・素盞鳴尊
神社入り口と随神門 太い注連縄も架かった立派な拝殿
随神門内の木造狛犬。珍しく神社の案内にも「傑作な狛犬」と載っています。
吽には小さな角が付いています。
本当に大きな眼を見開いて上を仰ぎ見ながら、君たちはいったい何を考えているのでしょう?
随神門裏にいた小顔の出雲丹後狛犬。
といってもこの子達は賣布神社の狛犬と同じく、神殿狛犬進化系です。
一説には室町前期の作といわれています。
檜皮葺き本殿 参集殿内の超変わった御神輿
境内社・脚摩乳
(稲田姫の父神)神社
境内社・手摩乳
(稲田姫の母神)神社
境内社・伊勢宮
境内社・貴布禰神社 境内社・山神神社
境内社・天照大神 境内社・天照大神脇の、極小さな出雲丹後狛犬
縁結びの夫婦椿
連理玉椿
境内の様子 「八雲立つ 出雲八重垣
 つまごみに 八重垣つくる
 この八重垣を」の歌碑



八重垣神社奥の院へ
こんな看板も… 佐久佐女の森への神橋と椿の花
夫婦椿・子宝椿 境内社・天鏡社
縁結び占いの池・鏡の池 鏡の池に「神助により幸福をつかむ・吉」と、
書かれた半紙に10円玉を乗せ、じっと未来を占うカップル。
1,コインを乗せた半紙を静かに鏡の池に浮かべます。 2,そのままじっと待っていると、
 コインの重みで半紙に池の水が上がってきます。
3,約3分後、コインは大分沈んできました。 4,とうとう半紙は池の中に沈み、見えなくなりました。

 因みに、占い用紙が早く沈む(15分以内)と良縁が早く、遅く沈む(30分以上)と縁が遅いと云われ、また近くで沈むと身近な人と、遠くで沈むと遠方の人と結ばれる、と案内には書いてありましたが、私達が見ている間、全ての人の半紙は5〜7分位で池の中に沈んでいきました。めでたし、めでたし!