剱神社

松江市八雲町日吉(平成17年11月26日)

 松江市街地から432号線で南下しつるぎ団地を過ぎたら意宇川に架かる神納橋を渡りすぐ左折。そのまま川に沿って300m程進み、つるぎニュータウン方面に右折。300m先の右角に鎮座しています。
 案内が無く、この神社の創建、由緒などは不明ですが、「やくも村HP」に社名由来と思われる記述がありましたので紹介しておきます。
古事記に、「国生み終えられた男神イザナギノミコトと女神イザナミノコトは、さらに神々を生み、終わりに火の神を生んだイザナミノミコトは、火傷をされてとうとう亡くなられてしまった。男神イザナギノミコトは、悲しみのあまり、泣きわめくが、そうしたとて、亡くなられた女神がもどるわけがない。男神は泣きながら、その遺骸を出雲国と伯耆国の境にある比婆山に葬られた。」とあります。
 また雲陽誌に、「神納山は、剱山から500メートルほど離れており、男神イザナギノミコトを追った女神イザナミノミコトが、みずから魂をこの地へ納められたところであるので神納という。」と記されています。この神納の御陵さんから続いている丘陵によって、日吉・岩坂平野と意宇平野に分けられていますが、この丘陵の東の端に剱神社があります。神話に「女神イザナミノミコトを失った男神イザナギノミコトは、あきらめきれず黄泉の国まで行ったが、みにくい姿をみて逃げた。黄泉の国の軍勢に追われた男神は剱を打ち振って防がれたので、剱山という。」とあります。
 また、雲陽誌に「剱山のがけ下に黄泉の国の入口といわれる岩窟があり、剱神社の神主の内蔵太夫くらだゆうという人が、100日間の断食をしたあと、この岩窟に入ることができた。3日ほどと思って出たら、すでに3年の月日がたっていたという。ふしぎなことと人々があやしんで、岩窟のようすをたずねたが、ようすを語ろうとすると、舌がこわばり、目はとじてしまった。」とあり、この世と死の国との境が剱山であると物語っています。 (「やくも村HP」より)

神社入り口の殆ど朽ちかけた出雲丹後狛犬
境内への階段入り口 長い長〜い階段です
境内直前に建つ境内社・日吉神社、出雲神社
境内社・日吉神社、出雲神社を守る見返り子狛付きの出雲丹後狛犬
(昭和15年12月建立)
拝殿 拝殿内の様子
拝殿前の出雲構え獅子
(昭和15年11月10日建立)
本殿 境内社・稲荷神社
境内社・藤森神社 境内の様子
紅葉の朱がひときわ目立ちます