松江市美保関町美保関608 (令和6年6月24日)
東経133度18分31.67秒、北緯35度33分33.19秒に鎮座。
この神社は、JR境線・境港駅の東6km程の辺り、島根半島先端に近い美保関の街中に鎮座しております。
この神社は、全国各地にある事代主神系列の「えびす社」3385社の総本社として、水産・海運に携わる人々から広く敬い親しまれている神社です。
土産物屋の建ち並ぶ中に建つ大鳥居を潜ると、右手に廻船御用水「影向の水」があります。この井戸は江戸時代の大干魃時に、美保大明神に祈願しこの地に井戸を掘ったところ、真水が渾々と湧きだし未だに枯れたことがないという、不思議な井戸です。社号標の建つ二の鳥居を潜ると石段上には嘉永3年生まれの出雲丹後狛犬がおり、左側に手水舎がありますが、ここに「えびす様の総本宮 美保神社 参拝案内」が置いてあり、その丁寧な案内に従い歩くと、漏れが無く境内を廻ることが出来ます。
又石段を上がると、正面に随神門と回廊があり、右手回廊下に四本爪の碇や寶栄丸の折れ舵が展示されています。随神門を入ると境内で、正面に妻入りの大きな拝殿と、「美保造」という珍しい造りの本殿が、全て檜皮葺きの厳かな姿を見せています。又、拝殿前には屋根下にいたのでとても綺麗なままの文政13年生まれの備前焼狛犬がおり、本殿前には木製の大きな神殿狛犬も居ます。
境内は右手から廻るようになっていて、順に御霊石、宮御前社、若宮社、御神竹、神饌所と巡りますが、それぞれの境内社にも狛犬が居て、狛犬好きにはたまらなく楽しい神社です。
土産物屋の若奥さんは「この神社は古社ですが素朴で…」と言っていましたが、とんでもない、大神社としては珍しく、観光客に媚びることなく、毅然と昔からの佇まいを残している姿には、大きな感動を覚えました。今回はこの神社への参拝をメインと考えてきましたが、期待を裏切ることなく素敵な思い出を戴きました。
御祭神 事代主神、三穗津姫命
由緒
御祭神事代主神は国土奉献の大事を決せられて自らは八重青柴垣を作ってお隠れになったと記紀にみえている。俗に「えびす様」と申し上げ古来より広く尊崇せらる。古くは延喜式内社に列し明治一八年国幣中社に昇格せられ明治天皇より剣一口を腸っている。夙に出雲大社と共に出雲の「えびすだいこく」と竝び称せられ「大社だけでは片詣り」とて出雲大社に参拝する人々は必ず当社にも参詣する風習があり、漁業農業商業の守護神として全国に崇敬者を持っている。山陰、岡山地方の農家は「夏市まいり」と称し田植後集まって参拝する。島根半島東端にある岩礁「沖の御前」「地の御前」は御祭神が釣りをなされた聖地であり五月五日払暁この島にて神迎神事が執り行われる。現本殿は文化一○年造営のもの、昭和三年現在の神城を完成した。又当仕の「一年神主」制度は、特異な祭祀形態として顕著なものである。
(「神社名鑑」より)
創建の由緒は不詳であるが、8世紀に編纂された『出雲国風土記』の神社台帳に記載される古社である。延喜式神名帳では小社に列する。
中世より横山氏が神職を世襲した。近世ごろから「大社(出雲大社)だけでは片詣り」と言われるようになり、出雲大社とともに参拝者が増えるようになった。出雲大社とあわせて「出雲のえびすだいこく」と総称される。
明治18年(1885年)に国幣中社に列せられ、第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。
ウィキペディア(Wikipedia)』より
参道入口
廻船御用水「影向の水」
二の鳥居
洗練され良くできた狛犬で、眼には黒い石のような物が填め込まれています。拡大写真はこちら。
(嘉永3年(1850)庚戌6月吉日建立)
参道
随神門と回廊
回廊右端、宮御前社や御霊石に直接参拝できる石段途中の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
神門
神門に架かる大きく太い注連縄
境内と社殿全景
拝殿前の備前焼狛犬。拡大写真はこちら。
(文政13年(1830)庚寅正月吉日建立)
拝殿
拝殿内部
本殿前にいる木製神殿狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
二御前 事代主神を祀る本殿
大御前 三穂津姫命を祀る本殿
宮御前社(埴安姫命)・宮荒神社(奥津比売命,土之御祖神,奥津彦神)・船霊社(天鳥船神)・稲荷社(倉稲魂神)
宮御前社を護る笏谷狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
御霊石
若宮社(天日方奇日方命)・今宮社(政清霊)、糺社(神号不詳)
若宮社を護る狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
恵比須社
神饌所
御神竹
神社前の美保関港