熊野大社

松江市八雲町熊野(平成17年11月26日)

 この神社は松江市街地から432号線、53号線と引き続き南下していくと八雲温泉にいたり、そのすぐ先右側に鎮座しています。出雲国風土記にも記されている古社で、平安時代初期までは出雲国一の宮でした。「延喜式神名帳」(927)では「熊野坐神社」とも「日本火出初神社」とも称され、古来「杵築大社(出雲大社)」と並んで出雲の国の大社として特別な扱いをうけてきたようです。
 駐車場から未だ清流の意宇川にかかる橋を渡ると境内で、中央正面は御本殿、右手に后神の稲田姫をお祀りしている稲田神社、左手に母神の伊邪那美命をお祀りしている伊邪那美神社等が建ち並んでいます。ほかにも随神門、鑽火殿、舞殿、境内社などさまざまな建物があり、特に鑽火殿はここの独特の社殿で、萱葺きの屋根で壁は檜の皮で覆われ、竹でできた縁がめぐらされており、発火の神器である燧臼(ひきりうす)、燧杵(ひきりきね)が奉安されています。毎年10月15日には出雲大社から宮司が訪れ、これらの神器を出雲大社へ送り出す鑽火祭がここで行われています。

 案内によると、熊野大社は古代熊野山(天狗山)にあリましたが、中世に里に下り「上の宮」「下の宮」として二社祭祀の形態を取っていました。「上の宮」は紀伊国の熊野信仰の影響を受け、熊野三社権現とも呼ばれ伊弉冉尊・事解男神・速玉男神などを、「下の宮」は伊勢宮とも呼ばれ、天照大神・素盞嗚尊などを祀る神社が造営されていました。明治期に「上の宮」が「下の宮」であった現在の熊野大社へ奉還合祀されました。

 私は熊野大社というと紀州の熊野本宮・速玉・那智大社の、所謂、熊野三山しか知らなかったので、ここに来るまでは紀州の熊野三山の分社だとばかり思っていましたが、古代には熊野という地名が各地にあり、延喜式には、熊野の名を持つ神社が五社記載されているようです。そして熊とは隈であり、熊には「強く恐ろしい、また、形が大きい」、隈とは「もののすみ、入り込んだ場所、奥まってものかげになった所」の意があり、紀州の熊野三山もここも、何処となくこの意に該当する場所といえるでしょう。

神社入り口 社号標
鯉の泳ぐ神池 神社前の様子・意宇川
意宇川に架かる朱塗りの八雲橋 境内入り口
随神門 境内の様子
文政8年建立の出雲構え獅子
(文政8(1825)9月建立)
立派な拝殿 拝殿内の様子
本殿
后神の稲田姫をお祀りしている稲田神社


母神の伊邪那美命をお祀りしている
伊邪那美神社入り口
伊邪那美神社社殿
境内社・荒神社
境内社・稲荷神社、参道と社殿。
燧臼(ひきりうす)、燧杵(ひきりきね)の神器が奉安されている鑽火殿。
茅葺きの素晴らしい佇まいの社殿です。
舞殿 須佐之男命の歌
「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 
八重垣つくる この八重垣を」の碑
境内でひときわ目立つ紅葉