来待(きまち)神社

松江市宍道町上来待241(平成24年9月1日)

東経132度57分38.88秒、北緯35度23分58.66秒に鎮座。

 この神社は宍道町・玉造温泉カントリークラブの東に鎮座しています。267号線から神社に向かって西に入ると、突き当たりに社号標が立ち、石段が造られています。二十数段上がった上に根巻き鳥居が建立され、参道は一旦平坦な道のりとなります。その後又境内へと続く石段参道を上がっていくと、両脇に出雲構え獅子がいる境内入口へと辿り着きます。静かで落ち着いた佇まいの、横に広い境内奥には、中央に随神門、左右に神楽殿や社務所が設えられ、石段左右に石狛犬、随神門内に木製狛犬が居ます。
 社殿は吹き抜けの拝殿奥に大社造りの本殿、左右に積羽八重事代主命と五十猛命を祀る左殿・右殿が建立されています。又、境内の左右奥には石祠の境内社が何社か祀られています。

御祭神:大物主櫛甕玉命、積羽八重事代主命、五十猛命
祭礼日:10月28日
境内社:和名佐神社、屋風呂神社、御内神社
由緒:風土記の「支麻知社」に相当し、伝承によると、社名の「来待神社」とは「大和国三輪より大物主命が来ます」と人々が待ったことからの由来とされ、式内社・來待神社に比定されている古社です。
 崇神天皇の頃の勧請とされ、『出雲国風土記・天平5年(733)』には「支麻知社」と記されています。
 康暦年間(1379〜80)兵乱で社宝が喪失し、天正年間(1573〜92)地頭犬山尚平が復興しました。寛永11年(1634)12月26日京極家が神田寄進。正保年間(1644〜47)修造。嘉永7年(1854)神田寄進。
 明治4年郷社に指定され、明治40年10月には神饌幣帛供進社に指定されました。
(サイト「延喜式神社の調査」より)

社頭
入口の石段参道 社号標
石段上に立つ根巻き鳥居
遠くに鎮守の杜を見ながら歩く平坦な参道
境内へと続く石段参道
境内入り口
境内入口にいる文政4年生まれの出雲構え獅子
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(文政4年(1821)建立)
綺麗に整備され、静かで落ち着いた佇まいの境内の様子
随神門手前に居る文政5年生まれの出雲狛犬
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(文政5年(1822)建立)
随神門
随神門内に居る木製狛犬
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社殿の建つ上の境内の様子
上の境内左右にいる、苔生して貫禄十分な小さい出雲構え獅子
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拝殿
拝殿内に掛かる二つの額
三社大明神 来待神社
大社造りの本殿:大物主櫛甕玉命
右殿(向かって左):五十猛命
左殿(向かって右):積羽八重事代主命 左殿脇に一体だけのいる出雲構え獅子
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境内社入口
石段途中にいる出雲構え獅子
境内社
藁の大蛇荒神社と境内社入口
奥へと向かう参道
境内社二社
境内社二社