神魂(かもす)神社

松江市大庭町(平成17年11月26日)

 この神社は大庭大宮ともよばれ、松江市街地から432号線で南下し、風土記の丘手前を右折、248号線の突き当たりに鎮座しています。
案内には「主祭神は伊弉冊大神、伊弉諾大神。当社は出雲国造の大祖天穂日命がこの地に天降られ出雲の守護神として創建、以来天穂日命の子孫が出雲国造として廿五代まで奉仕され、大社移住後も「神火相続式」「古伝新嘗祭」奉仕のため参向されている」と記されています。
 ところがこの様な古社で意宇(おう)六社の一つにも数えられる程格式も高いのですが、何故か「延喜式」にも「出雲風土記」にも記載がありません。これは隣に出雲国造家の屋敷跡があり、古より出雲国造家とつながりが深く、私斎場的な物であった為ではないか?と推察している方も居ます。因みに意宇(おう)六社とは、神魂、熊野、揖夜、真名井、八重垣、六所神社のことで、今回全ての神社の参拝をさせていただきましたが、何処も歴史の深さと格式の高さを感じさせる素晴らしい神社ばかりでした。
 本殿は室町時代初期、正平元年(1346)建立の大社造で、床が高く、木太く、特に宇豆柱が壁から著しく張り出していることは大社造の古式に則っているとされ、最古の大社造として昭和27年3月国宝に指定されています。また、屋根の千木(ちぎ)先端が出雲大社と異なり、地面と水平になっていることで、これは祭神である伊弉冉大神が女神であることを象徴しているそうです。その他境内には、貴布神社、稲荷神社が祭られ、桃山時代の建築様式を伝えるものとして、国の重要文化財に指定されています。
 この神社での「神在祭」は、旧暦10月11日(現在では11月11日)の夜、本殿の脇にある稲荷社に合祀される高天神社に神々を迎え、翌日早朝神籬でもって本殿内殿へ迎え入れます。神おくりのカラサデは18日に内殿の扉を開けて神事を行い、「お立ち」と三度唱えて神々を送り出します。この祭りは御祭神の伊弉冊大神の供養の為行われているといわれています。毎年12月13日に行われる「御釜神事」は、神社に祀られている出雲国造祖神・天穂日命が大国主命)に国譲りをすすめるため、高天原から御釜に乗って大庭の里に現れたという伝説が由来で、天穂日命が乗って降りたとされる釜の前に農作物や酒が供えられ、祝詞の奏上や神職らによる舞を厳かに奉納、今年の収穫を感謝し、来年の五穀豊穣を祈願します。(神社&仏閣参照)

社号標 神社入り口
神域入り口の木製鳥居 参道も落ち着いて良い感じです
境内への階段 境内の様子
社殿の様子。国宝指定といいますが納得。
古の出雲大社は覚在らん…と思わせる雰囲気を持っています。
拝殿 本殿
拝殿内の様子 神器の様子
左は神魂神社本殿の屋根の千木(ちぎ)。先端が水平に切ってあり、
これは祭神が女神である事を示します。
右の写真を含む出雲大社系は千木の先端が垂直に切ってあり、
これは男神を主祭神とすると言う意味で、大社造の特徴です。
御祭神の伊弉冊大神は右向きに祀られているようです。
出雲大社の大国主命は西向きだが、ここは東向き。
古くは一対で創建され、片や生、片や死。太陽信仰から来たのでしょうか。
以上勝手な想像です。何時か謎解きをして見たいとおもいます。
境内社・杵築社 境内社・伊勢社
御釜殿 御釜殿内の天穂日命が
乗って降りたとされる釜
境内社・熊野社 境内社・重文の二間社流造
貴布禰稲荷両神社
貴布禰稲荷両神社前の首輪付き神狐。上品でいい顔をしています。
(昭和38年12月建立)
境内社・外山社 境内社三社
境内社・蛭子社 境内社・武勇社
境内社・荒神社 貴布禰稲荷両神社の
社殿下には神狐が勢揃い
境内を彩る紅葉