城山稲荷神社(じょうざんいなり)

松江市殿町 (平成17年11月27日)

 初代藩主堀尾茂助吉晴公がここ亀田山に築城の際、この山にあった他の社寺はそれぞれ移転したが、この地にあった若宮八幡宮はそのままこれを守護神として祀った。その後、松江藩の基礎を築いた松平直正公(堀江吉春公から数えて3代目で、家康の孫にあたる)が城内に勧請した神社で名工・小林如泥作の木狐を神宝とするのが城山稲荷神社。境内には1000体以上もの狐が奉納されている。かっては2000体以上もの狐があったと言う。
 松江をこよなく愛した明治の文豪・小泉八雲が通勤途中に毎日のように立ち寄った神社のよし。

神社入り口と社号標

この神社は勿論松江城内に鎮座して居られるのだが、参拝者の出入は江戸時代から自由であったので、城山稲荷神社の神札は火難除として市中どこの家の軒先にも貼られていたようである。ラフカディオ・ハーンは松江唯一の防火設備だとして、その神札を大英博物館に送っているようです。

最初に出迎えてくれる出雲構え獅子。阿は顔が欠け、吽もあちこち崩壊が始まっています。

(慶應3年(1867)建立)

八雲の愛した石狐の復元をめざすだけでなく、この子達もせめて修復の手だては無いのでしょうか。

さらに御狐様です。いったい何体いらっしゃるのでしょうか。

なんと参道の片側にずら〜と横並びで参拝客をお迎えしています。

さらに丸い台座にすわった出雲丹後狛犬。
(文政7年(1824)11月吉日建立)

どうもこの子が復元された、八雲の愛した石狐の様です。とても優しいお顔をしておられます。

拝殿とそれをずら〜と、取り囲むように並んでいる石狐様。八雲の愛したお狐様は、現在随神門前に居られますが、明治の写真では随神門と拝殿の間に住んで居られたようです。

7代不昧公筆の額はどちらなのでしょう。

小泉八雲がこよなく愛した石の狐です。

その他境内の様子。

日本三大船神事の一つと言われるホーランエンヤ。詳しくはこちら。