豊田神社

益田市横田町2873 (平成29年7月23日)

東経131度49分01.59秒、北緯34度37分15.53秒に鎮座。

この神社は、JR山口線・石見横田駅の北東1.2km程の辺り、横田町の街外れに鎮座しております。

御祭神 天津大神・多祁阿久豆魂命・外24柱

由緒
天津大神多祁阿久豆魂命は神皇産霊尊の御子で第8代孝元天皇の御代(皇紀485年)に御鎮座と伝えられ、霊験まことにあらたかであったが、何時の頃からか神威荒振る神となられたので、皇紀1695年三井寺の座主明尊僧正此地に下向して、九ヶの壺に酒を入れ祭器と共に地中に封じ奉りました。其の後、領主豊田致親は、皇紀1919年神宮寺を建て育王山石塔寺大権現と尊号を改め崇め奉りました。
それから約400年の後、世の中は乱れ国民の苦しみがひどくなった皇紀2366年、時の神主山根権太夫晴栄は、霊夢に「世に出でて氏子の守りとなるべし」との御告げを受け、領主亀井茲親に言上、命ををうけた御神体と九ヶの壺を掘出し御祭り申し上げました。
明治3年(1870)豊田神社と改名になり明治7年(1874)郷社に定められましたが、明治44年(1911)御山から現在地に移されました。
さらに大正元年(1912)大境の剣玉神社、上野の天満宮が合祀されました。又昭和50年(1975)には特別神社に指定されました。
境内由緒書き より。

神社入口

社号標

境内

茅の輪

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(万延2年(1861)辛酉10月吉日建立)

拝殿内部

本殿


先代様達

力石