高津柿本神社

益田市高津町イ2612-1 (平成29年7月24日)

東経131度49分21.92秒、北緯34度40分27.86秒に鎮座。

この神社は、益田駅の西1.5km程の辺り、万葉公園の東側角に鎮座しております。

御祭神 柿本人麿命

由緒
柿本人麿朝臣は、孝昭天皇の皇子天足彦押人命の後胤である小野族から分れた柿本族の出である。柿本族の本拠は大和にあったが、その一部族が益田市戸田(小野郷)に移住。小野の地に於て人麿公は御生れになったと伝えられている。青年時代に都に上られ持統天皇、文武天皇の両朝に宮廷歌人として仕えられた。万葉集にある如く「鴨山の岩根し枕ける吾かも知らにと妹が待ちつつあらむ」の歌をのこされて石見国の鴨山に逝去された。その鴨島は高津の沖にあったと今日まで語り伝えられて来ている。神亀元年(724)、国司が勅命によって終焉地である鴨山に社殿を建立したのが起源である。万寿3年(1026)の大地震により鴨島が海中に陥没したと伝えられて伝えられている。その時の大津波のため人麿公の尊像は松崎の地に漂着されたので、この地に社殿を再建された。以後延宝8年(1680)に至る654年間松崎の地に鎮座。延宝9年(1681)亀井藩主により現在の鴨山に再建された。
当社は全国にある柿本神社の本社として歴代皇室の御崇敬厚く中御門天皇の御代、享保8年(1723)は人麿公御鎮座より一千年祭にあたり、正一位柿本大明神の神階と神位を宣下された。更に宣命、位記、太政官符を下されるにあたり勅使参向の沙汰があるなど、和歌の道に於て特に当社を尊ばれた御聖旨によるものである。一千年祭にあたり霊元上皇御宸筆の御製以下50葉の短冊を御法楽として御奉納された。・・・・・
境内由緒書き より。

参道入口

楼門

境内入口

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(寛政2年(1790)庚戌建立)

拝殿

本殿


稲荷神社

人麿公