彌栄(やさか)神社

鹿足郡津和野町後田67 (平成24年11月22日)

東経131度46分25.41秒、北緯34度27分46.35秒に鎮座。

【狛犬情報・剣貝さんより】
団体の一員として短い自由時間に(私一人だけで)山口線を走る気動車を撮ろうとして偶然見つけました。JR津和野駅から徒歩15分、太皷谷稲成神社の鳥居、山口線のガードを潜り数分の所に鎮座しています。例祭の鷺舞神事の 日は多くの人で賑わうとのこと。(境内の案内板を見て初めて鷺舞にきずきました)鷺舞の写真をもっていないのでイラストを描きました。

御祭神 須佐之男命
配神 正哉吾勝勝速・日天忍穂耳命・天穗日命他7柱・大己貴命他3柱

歴史
正長元年(1428年)三本松城主吉見氏が祇園社の分霊を太鼓谷山に勧請したのが初めとされる。永享9年(1437年)吉見弘信が社地を下元原(現在地)に遷座し、三本松城の鬼門を守る社とした。吉見氏以降坂崎成正を経て亀井氏が藩政を執るようになり、廃藩に至るまで藩主の造営や寄進を受け、町民の崇敬を集めた。創建時より「滝本祇園社」という社名であり、現在の社名に改めたのは慶応3年(1867年)のことである。
ウィキペディア  より

参道入口(写真00_1)と鳥居。額は「稲成神社」。

参道入口の狛犬。狛犬も山口県に近いようです。拡大写真はこちら。
(年代不明)

境内

鳥居と神額

手水石と津和野川

社務所?

拝殿

本殿

御神木の大欅

裏参道入口

鷺舞神事の説明

鷺舞
鷺舞は津和野の弥栄神社に伝わる古典芸能神事です。毎年祇園祭りの7月20日(ご神幸の日)は町内11ヶ所、27日(ご還幸の日)は町内9ヶ所の昔から定められた場所で舞います。鷺舞は天文11年(1542)に時の津和野城主吉見正頼(11代)が山口の祇園会から移し入れた芸能神事ですが、本元は京都の八坂神社祇園会に伝えられたもので、京都から山口へ、山口から津和野へと伝えられました。坂崎出羽守の時代に一時中絶しましたが、亀井氏の時代になって茲政(2代藩主)は、寛永20年(1643年)坂田兵左衛門、柴屋彦両人を京都に派して京都祇園会の鷺舞を直接習得させ、今日まで受継がれ当屋制の事、鷺舞屋敷の事、諸々の儀式、ならわし等は時代の変遷に伴い省略されて記録に残るのみですが、鷺舞そのものは正しくうけ継がれ大事に保存されて「日本に只1つ残る鷺舞」と云われています。貴重な無形文化の遺産として学術的にも高く評価されています。
津和野町観光協会>祇園祭 鷺舞 より