鷲原八幡宮

鹿足郡津和野町鷲原イ632-2 (平成29年7月23日)

東経131度45分33.05秒、北緯34度27分04.41秒に鎮座。

この神社は、JR山口線・津和野駅の南西3km程の辺り、鷲原の街外れに鎮座しております。

御祭神 誉田別命・息長足姫命・玉依姫命・菅原道真公・吉見頼行公・外13柱

由緒
此のお宮の起源は約一千年の昔、天暦年間(947〜956)に山根六左衛門と云う人が宇佐八幡宮を勧請した時にはじまるといわれています。
弘安5年(1282)能登の国から吉見三河守頼行公が石見国木部村木曽野(今の津和野町木部)に仮の居を定め、鶴ヶ岡八幡宮を勧請せられました。社殿が吉見氏により木曽野から此の地に移され改築せられたのは三本松城(津和野城)が完成した嘉慶元年(1387)吉見頼直公(頼行公の嫡子)の時代でした。
爾来三本松城の守護神として吉見、亀井の歴代領主の崇敬厚く、亀井氏の時代には藩中の三大社と称される神社の中の最高位に置かれていました。他の二社は祇園社(今の彌栄神社)と武霊社(今の津和野神社)であります。
流鏑馬の馬場は鎌倉時代の原型を留めている貴重な文化財であります(県指定史跡)。また、楼門に掲げられている天保3年(1832)に奉納された額に「公園」という記述があり、早くから庶民に親しまれていあ場所でもありました。・・・・・・
境内由緒書き より。

参道入口と一の鳥居

二の鳥居

楼門

楼門前の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

楼門、拝殿、本殿と連なっています。


稲生社

南東側、流鏑馬の馬場入口

境内側より見る馬場