春日神社

鹿足郡津和野町日原 (平成29年7月23日)

東経131度50分22.25秒、北緯34度32分34.88秒に鎮座。

この神社は、JR山口線・日原駅の北2km程の辺り、日原の街中に鎮座しております。

御祭神 

由緒
春日神社は、江戸時代において大森銀山の管轄であった幕領地の日原地区にある。神社は街の中央付近の東側斜面地の小高い場所にあり、街並みや高津川、周辺の山並みを見渡す絶好の眺望点でも所に位置する。神社は安永元年(1772)に記された『春日大社棟梁記并銘』等によれば鉱山師であった三好氏が建立した。その時期は、棟札の存在から寛永3年(1626) に創建されたといわれている。現在の本殿は、明和9年(1772)につくられたもので、記録によると「本社 大坂北御堂前 鳥井九郎兵衛義賢」とある。鳥井氏は大坂の宮大工で、屋号を宮屋と称し、大坂で部材の調整を行い、その部材を運んで現地で組み立てるという方法をとっていた。本殿は小規模ながら端正な造りをしており、春日造を変形させた切妻造妻入の一間社である。屋根は銅版葺きで、2基の千木と鰹木を飾る。また、社地は斜面に形成されており、正面に拝殿・本殿、拝殿向って右手に神楽殿を接続する。拝殿と神楽殿は形状及び絵様から判断して明治から大正期頃の建築と考えられる。 また、本殿の背後には社地を形成するため山の斜面を掘削し、補強として約5mの石垣が築かれている。さらに裏側には豊かな社叢が広がり周辺の山林につながっている。一方、春日神社の西側に広がる日原の街並みは、日原銅山の繁栄と幕領としての発展、奥筋往還と高津川の舟運の結節点としての立地性を基盤として形成され、春日神社はその守り神でもある。
津和野町公式サイト(P88) より。

参道入口

一の鳥居

神額

二の鳥居

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和4年(1929)11月10日建立)

拝殿

本殿


末社