都我利(つがり)神社

出雲市東林木町672(平成24年8月31日)

東経132度47分15.49秒、北緯35度24分13.94秒に鎮座。

 この神社は431号線沿いに入口があり、鳥居と社号標が立っています。鳥居を潜ると境内までは急登の石段が続き、老いた身には随神門までの登りがかなり堪えます。下の境内には社務所と思しき建物があり、参道が90度右に曲がると上の境内へと上がる石段となっています。その石段脇には建立年代不明の狛犬がおり、ここから上の境内まではあと一息の道のりです。上の境内中央には 、「稲荷神社」「熊野神社」「式内都我利神社」「伊佐波神社」「天満宮」と五社の名前が記された額が掛かる拝殿、塀内に弊殿・本殿が建立されています。又、社殿周囲には、稲荷神社、武頭天神社等の境内社と塞の神双体像、牛頭像の彫られた石祠、藁蛇の荒神社が祀られており、境内からは長閑な簸川平野の田園風景が、素敵に見られました。

 御祭神:味耜高彦根命、配祀:伊耶那岐命 伊耶那美命 速玉男命 事解男命 倉稻魂命 迦遇突命 菅原道真
 祭礼日:歳旦祭・1月1日、合祀祭・1月15日、祀念祭・3月10日、合祀祭・7月1日、元祭・10月1日、例大祭・11月3日、総荒神祭・11月15日、新嘗祭・12月10日
 境内社:稲荷神社、武頭天神社
 由緒:『出雲国風土記』(天平5年(733)2月30日完成)記載の「伊努社」4社「伊農社」3社のうちの一社に相当する。天和3年(1683)には「八租父大明神」と称しており、明治に式の旧社名に復した。
 明治4年村社に指定され、明治10年社殿が造営される。大正4年、神撰幣帛料供進社に指定される。
(サイト「延喜式神社の調査」より)

 『式内社調査報告』には
「風土記の伊努社四社、伊農社三社のうち の一社に相当する。
 中世の事情は明らかでないが、近世に至り、寶永二年 (一七〇五)の「神社書出帳控」を見ると、ここに「楯縫 郡東林木村都我利神社、神名帳在出雲郡都我利神社此社 也。一八王子大名神、味耜高彦根尊」とあつて、当時この 社は一に八王子大名神ともいはれてゐた様子が窺はれる。」とあります。

社頭
431号線沿いに立っている一の明神鳥居 社号標
急登の石段参道
随神門
下の境内と社務所
上の境内に上がる石段脇に建立されている狛犬
円形の台座なので古い物と思われますが、建立年代は不明です。理知的な良い顔付きの狛犬です。前脚の重量感は凄いですね〜。
狛犬の拡大写真はこちらで
上の境内の様子
拝殿
拝殿にかかる額
「稲荷神社」「熊野神社」「式内都我利神社」「伊佐波神社」「天満宮」
透かし塀内に建立されている檜皮葺の弊殿・本殿

境内社:稲荷神社
神使い・お狐様
先代のお狐様
境内社:武頭天神社
末社群全景
塞の神双体像、牛頭像
藁蛇の荒神社

境内から見える簸川平野の風景