富(とび)神社
出雲市斐川町富村596(平成24年8月31日)
東経132度48分12.21秒、北緯35度22分28.70秒に鎮座。
この神社は西野小学校のすぐ南に、公民館と隣接して鎮座しています。とても良く整備された神社で、境内社の案内までしっかりと記されており、又、金運招来・開運来福の御利益があるとされる神様を祀る、縁起の良い社名も印象的な神社です。
豊かな森が左右に広がる落ち着いた佇まいの入口には、鳥居と案内板が立ち、左側に駐車場。参道脇に狛犬がおり、右手に手水舎が配されています。境内入口の随神門内には、随神さんと綺麗な彩色が残る神門狛犬。境内に入ると中央奥に入母屋造りの拝殿、弊殿・大社造の本殿が建立され、周囲には沢山の境内社が祀られています。
御祭神:八束水臣津野命
祭礼日:例大祭・11月2日
境内社:社日の神、若宮神社、稲荷神社、惣荒神、金刀比羅神社、龍神祠、大歳神社、風日社、胞衣荒神
由緒:社伝によると、八束水臣津野命が「八雲立つ出雲国は幅の狭い布のように細長い国だ、どこかに土地の余りがあればそれを引いてきて繋ぎ合わせて広くしよう」と、出雲郡の神名火山(仏経山)の山上に立ち、国引きを思いつかれ、やがてその大事を成しとげられた後、この地に鎮座されたという。これによりこの地を出雲郷といい、社名も出雲社と云った、とある。
(境内掲示板より)
古傅、八束意美豆努神國引神事後出雲大川(斐伊川)地帯は、雲州(簸川)平野のナイルで斐伊川は、長い間に何回か東西に流路を替えつつ広大な沖積平野を修理造成し、神名火山(佛經山)の嶺より地理を見て「八雲立出雲八重垣云」御歌唱へ給ひてこの西の辺りは、土地がよく神門水海に近く此所に鎮座により出雲郷と云い社号を出雲社と云う。
聖武天皇御代の和銅六年(七一三)に諸国の風土記編集をめいじられ出雲風土記出雲郡に神祗官社「出雲社(いずものやしろ)」とあり諸々の古文書に記されている社である。
霊亀元年(七一五)出雲國造出雲冶郎信正の三男出雲信俊此の里に分家し、我が遠祖神(とおつみおやのかみ)合祀祭神を以て此の里人氏神と称し富大明神と云い、富村となった。
神主三代目の出雲俊里、延暦一四年(七九五)に田の中に屋敷があり草花や花木多いところから家の名を花田家となした。
明治四年に社名改正し村社「富神社」に改める。宝亀四年(七七三)頃、正倉院は一郡一倉を置き、出雲郡では、この富村に郡家正倉の蔵屋敷があった。
天文九年(一,五四〇)大庭村、熊野神社御火継祭に出雲大社上官以下多数の祭員を隨へて出雲郡富村に別邸千家・北島両国造のそれぞれ御殿に往復宿泊され古事に習い明治二年(一,八六九)迄、出雲社に参詣された社である。
(サイト「jimdo」より)
境内社:社日の神 |
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境内社:若宮神社 |
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境内社:稲荷神社 |
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境内社:惣荒神 |
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境内社:金刀比羅神社 |
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境内社:龍神祠 |
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境内社:大歳神社 |
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境内社:風日社 |
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境内社:胞衣(よな)荒神
古くは出雲風土記解に寛永時代頃出雲大河(斐伊川)洪水で
求院八幡宮より流着し西島屋敷内にあったが、産土神の境内地に奉齋。(サイト「jimdo」より) |
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