佐支多(さきた)神社
出雲市斐川町荘原587(平成24年8月31日)
東経132度51分06.35秒、北緯35度23分17.22秒に鎮座。
この神社は荘原小学校西約600m、新建川の南に鎮座しています。私達は、直接境内入口に辿り着いてしまったので始めは気がつかなかったのですが、一の鳥居は南南東約150m程に建立されており、その先も参道らしき道路は、山陰本線に分断されながらも70m程続いています。更に地図上で見ると、その延長線上には出雲市斐川町神庭の諏訪神社が鎮座しており、往古からの両社の関わりが伺えます。
神社手前の参道左に御旅所?の様な空間があり、盛り砂と直置き狛犬が見られ、神社入口には真新しい狛犬がおり、社号標、鳥居が建立されています。狛犬の後方左におもむきある手水舎が設営され、随神門内には初めて見た気がする、狛犬に跨った随神さんが見られます。
境内右手には社務所が配され、中央奥に千鳥破風付き入母屋造りの拝殿・弊殿・妻入りの本殿が建立され、周囲に金屋子神社、御射山稲荷大神、金刀比羅大神・廿原堤大神、三宝荒神・水神等の境内社が多数祀られています。
御祭神:健御名方命)、八坂豆売命
祭礼日:10月16〜18日
境内社:金屋子神社、御射山稲荷大神、金刀比羅大神・廿原堤大神、三宝荒神・水神等
由緒:出雲国風土記に「佐支多社」と記されている。
古事記(712年)によると、国譲りの交渉に臨んだ建御雷神は出雲の大國主神と事代主神の二神からは同意を得たが、建御名方神が交渉相手として残っていた。剛力無双を誇る建御名方神が、千引石という途方もない大石を軽々と両手にささげもって現れ「そういう話は力比べで決めようではないか」と話された。
しかし、建御名方神の力及ばず、ついに信濃国の諏訪まで追い詰められ、そこで国譲りを承諾された、とある。
この神はその後、諏訪にご鎮座になり、害獣・毒蛇から人々を守護、農耕・養蚕など耕作の神として崇敬されてきたが、出雲では当社の主祭神として、五穀豊穣を司る神として崇敬されている。
(境外「案内板」より)
参道入口 |
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参道入口に立つ一の明神鳥居 |
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北北西に約150m程続く、一般道と共用の参道 |
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社頭 |
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神社前方、向かって左にある御旅所? |
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神社入口に立つ台輪鳥居 |
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鳥居に掛かる額 |
社号標 |
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自然石の趣ある手水舎 |
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随神門 |
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門内に鎮座する、狛犬に跨る随神さん
仏教系では狛犬や象に跨ったお姿の仏様を拝見したことはありますが、神道で、こういう関係の随神さんと狛犬は初めて拝見したように思います。何か狛犬さんが、とっても嬉しそう…。 |
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境内の様子 |
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千鳥破風付き入母屋造りの拝殿 |
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拝殿に掛かる太い注連縄 |
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拝殿に掛かる額 |
拝殿内の様子
二面の額には「伊勢宮」「佐支多社」と記されています。 |
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弊殿と妻入りの本殿 |
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境内社:御射山稲荷大神 |
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御射山稲荷大神の神使い・先代のお狐様 |
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(昭和8年(1933)8月建立) |
御射山稲荷大神の神使い・お狐様 |
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(平成元年(1989)12月吉日建立) |
石祠 |
石祠 |
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境内社:金屋子神社 |
石祠 |
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社日 |
社日 |
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境内社:金刀比羅大神・廿原堤大神 |
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金刀比羅大神・廿原堤大神を護る、寛政年間?建立の出雲狛犬 |
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末社群 |
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三宝荒神・水神等の石祠 |
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石祠を護る小さな構え獅子 |
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