美談(みたみ)神社
出雲市美談町182(平成24年8月31日)
東経132度47分51.07秒、北緯35度24分28.13秒に鎮座。
この神社は美談駅の南西約300mに鎮座しています。入口は431号線沿いにあり、道路を走っているとこんもりとした小丘の前に、鳥居が建立されているのが見えます。そこから石段が北西方向に続き、途中、社号標や狛犬が
建立されています。特筆すべきは、石段左側に堂々と聳えるご神木・椎の木。二基の鳥居が建立され、木の柵で結界が張られた堂々たる祀り方をされています。
境内入口に狛犬がおり、左側には神楽殿兼参集殿?。正面に太い注連縄が張られた千鳥破風付き入母屋造りの拝殿、奥に弊殿・流造の本殿が建立されています。本殿傍に境内社が数社祀られ、なかには記内彌陀彌神社や天地の神、式内印波神社、和加布都奴志神社等という珍しい神社も見られました。
御祭神:経津主命、息長足姫命、武甕槌命、合祀:比売遅神
祭礼日:10月14日
境内社:小早川神社、記内彌陀彌神社、彌陀彌神社、天地の神、式内印波神社、和加布都奴志神社、縣神社
由緒:延喜式神名帳に美談神社と記し、出雲風土記にも彌太神社と記している。又、天保4年(1833年)の出雲神社巡拝記にも美談村の条に記に云う(風土記)彌談彌神社、式に云う(延喜式)美談神社とし「祭神はわかふつぬしの命なるべし」とある。巡拝記によると「建長年の頃(1249〜1252)佐々木次郎左エ門泰清の七男広田頼清のころ八幡宮を勧請せらぬと聞きぬ」とあるので、当国守護職塩冶氏の系累によって勧請されたものであった。されば武家時代においては、その蔭に古代以来の在地の守護神がかくれたまうのも、またやむを得ぬことであった」と記されている。つまり建長年間になって彌談彌神社がうしろにかくれ、表面に八幡宮が出てきたのである。
明治5年に村社に列せられた。寛永13年(1636)未曽有の洪水によって斐伊川が東流し、これによって美談郷が分断され、斐伊川の北側が万治2年(1658)年以来楯縫郡に属することとなり、明治22年市制、町村制によって国富村の一大字となり昭和26年平田市と合体し、30年市制施行によって平田市美談町となった。
(神社本庁「全国神社祭祀祭礼総合調査」より)
社頭 |
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入口に立つ明神鳥居 |
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石段途中、斜面に建立されている社号標「式内 美談神社」 |
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石段参道の様子 |
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石段参道上部 |
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参道脇にいる明治31年生まれの出雲構え獅子
阿の顔が欠損してるのが残念です。
狛犬の拡大写真はこちらで |
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(明治31年(1898)9月吉日建立) |
一旦平らになる参道 |
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石段参道と境内入口 |
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境内の様子 |
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千鳥破風付き入母屋造りの拝殿 |
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太い注連縄が如何にも出雲風です |
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流造の本殿 |
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境内社:小早川神社、記内彌陀彌神社、彌陀彌神社 |
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境内社 |
境内社:天地の神 |
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境内社:式内印波神社 |
境内社:和加布都奴志神社 縣神社 |
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石仏 |
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鎮守の杜 |
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